無条件降伏の時の間に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 03:29 UTC 版)
8月14日の続き 23:00終戦詔書完成。玉音盤の録音。ポツダム宣言受諾を連合国に通告。阿南陸相が首相室の鈴木に挨拶。 阿南陸相は余のところに挨拶に来られて「自分は陸軍の意志を代表して随分強硬な意見を述べ、総理をお助けするつもりが反って種々意見の対立を招き、閣僚として甚だ至らなかったことを、深く陳謝致します。」と語られたのであるが、 (中略)それから二、三時間後、阿南氏は見事に武人としての最後を飾って自決されたのである。 8月15日未明 軍務課の椎崎中佐・畑中少佐らが首謀し近衛兵団の一部が反乱(宮城事件)。阿南自決。鈴木は自宅から避難、鈴木家と平沼家は炎上。am11:00枢密院会議。12:00 玉音放送。この日の各社の新聞は放送後に発行。14:00閣議で内閣総辞職。16:00天皇に辞表提出。19:20ラジオで最後の首相談話。同日東久邇宮稔彦が後継首相に推薦される。 以後鈴木は襲撃を避けて3ヶ月で7回転居。11月27日千葉県関宿町(現野田市)へ。
※この「無条件降伏の時の間に」の解説は、「終戦の表情」の解説の一部です。
「無条件降伏の時の間に」を含む「終戦の表情」の記事については、「終戦の表情」の概要を参照ください。
- 無条件降伏の時の間にのページへのリンク