無所属・民主党
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2000年6月、第42回衆議院議員総選挙に愛知14区から無所属で出馬したが、自民党の浅野勝人に敗れ落選。 2003年11月、第43回衆議院議員総選挙に愛知14区から民主党公認で出馬。前回敗れた浅野を下して初当選した。 2005年9月、第44回衆議院議員総選挙に愛知14区から民主党公認で出馬。自民党の杉田元司の猛追を受けるが、再選(杉田も比例復活)。 2009年8月、第45回衆議院議員総選挙に愛知14区から民主党公認で出馬。杉田に比例復活すら許さず3選。 2010年9月、菅第1次改造内閣で総務副大臣(人事、行政管理、行政評価、恩給、統計、地方行政、地方財政、地方税制、消防などの担当)に任命され、2011年1月発足の菅第2次改造内閣でも再任された。 同年6月1日、菅内閣不信任決議案に賛成するため総務副大臣の辞表を提出したが、6月2日の衆議院本会議前の民主党代議士会で菅直人首相の早期退陣が示唆されたことから、同決議案の採決では反対票を投じた。6月3日には菅首相からの慰留に応じ、辞表を撤回した。ただし、採決に先立って行われた菅と鳩山由紀夫による菅が前提付きの退陣を表明した会談の内容に疑問を持った小沢一郎の意を受けて、退陣期日と小沢の処遇を文書で回答するよう要求する質問状を菅に手渡した。 「菅おろし」も参照 2011年9月、野田内閣の発足に伴い総務副大臣を退任し、民主党筆頭副幹事長に転じる。同年12月、小沢が会長を務める新しい政策研究会の事務局長に就任。 2012年1月、民主党幹事長代理に昇格した。同年の消費増税をめぐる政局では、野田内閣による消費増税法案の閣議決定に抗議して3月30日に党幹事長代理の辞表を提出し、4月23日の党役員会で受理された。6月26日の衆議院本会議で行われた消費増税法案の採決では、党の賛成方針に反して反対票を投じた。7月2日には山岡賢次らを介して離党届が提出された。民主党は7月3日の常任幹事会で離党届を受理せず除籍処分とする方針を決定し、7月9日の常任幹事会で正式決定した。
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