潜戸
名称: | 潜戸 |
ふりがな: | くけど |
種別: | 名勝 |
種別2: | 天然記念物 |
都道府県: | 島根県 |
市区町村: | 松江市島根町 |
管理団体: | 松江市(旧:島根町(H18.1.1)) |
指定年月日: | 1927.06.14(昭和2.06.14) |
指定基準: | 名5,名10,地5,地9 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | 潛戸鼻半島ノ尖端ニ在リ玄武岩及ヒ其ノ集塊岩ヨリ成ル懸崖ノ下ニ新潛戸ノ海蝕洞門及ヒ舊潛戸ノ海蝕洞窟ヲ成ス洞門ハ西西南ヨリ東東北ニ向ヒ長サ約二百米洞口ハ僅カニ舟ヲ入ル■シト雖トモ内部ハ廣ク且ツ高ク天氣ノ靜穏ノ日容易ニ舟ヲ洞内ニ入ルヲ得ベシ舊潛戸ノ洞窟ハ新潛戸ノ少ク南方ニ在リ洞口ノ高サ十米、内部ニ入ルニ隨ヒ漸ク幅及高サヲ減ス海上ニハ馬島、桂島、黒島、窓島等ノ諸島碁布シ窓島ニハ海蝕作用ニ歸因スル洞門アリ陸上ニハ玄武岩脈ノ屏風岩アリテ浸蝕作用ヨリ免レテ屹立スルコト屏風ヲ立テタルカ如シ又水平斷層ノ爲ニ其ノ一部東方ニ約十米餘轉位シ尚其ノ附近ニ「御産湯ノ■」トシ深サ及直徑孰モ二米ニ達スル海成甌穴アリ屹立ス海蝕作用岩脈ノ迸入等ノ顯著ナルハ中國地方ノ日本海ニ面スル方面ニ於テ類例尠キモノナリ |
加賀の潜戸
(潜戸 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/24 10:27 UTC 版)
加賀の潜戸(かかのくけど)は島根県松江市北部(旧島根町)、日本海に面する潜戸鼻にある海岸景勝地。加賀は集落名を表し、単純に潜戸ともいい、加賀潜戸と表記することもある。 1927年(昭和2年)国の名勝及び天然記念物に「潜戸」の名称で指定されている[1]。大山隠岐国立公園に属する。
日本神話とも関係が深く、佐太大神(佐太神社の祭神)の出生地といわれる。
概要
潜戸とは洞窟のことであり、安山岩、凝灰岩の岩盤が地殻変動に伴って断層や亀裂を発生させ、その割れ目に沿って日本海の荒波や強風が岩盤を長い歳月をかけて浸食していったことによって形成されたものである。海寄りの新潜戸と陸寄りの旧潜戸があり、自然的な特徴だけでなく、文化的価値観も全く異なるのが特徴である。
新潜戸
新潜戸は3つの入り口があり、中がトンネルのように連結された全長200メートルの海中洞窟となっている。洞内は広く、波が穏やかな日ならば、グラスボートでの探勝が可能。また、この新潜戸は『出雲国風土記』によると、佐太大神の生誕地と記されている。そのため、古くは加賀神社が鎮座し、神域となっていた。現在でもこの洞窟の中に旧社地を示す祠が設けられている。洞門は大神誕生の際、母神が金の弓箭で射通して作ったと語り継がれている。
旧潜戸
旧潜戸は、狭隘な入り口(幅5.5m)を持つ洞穴である。内部が広大なのが特徴で、中には仏になった子供らが親を慕い小石を積み上げたと伝えられる賽の河原があり、独特の無常観を呈する。堤防から内部へ潜入するための遊歩道、トンネルが設けられている。
遊覧船
3月から11月にかけて潜戸観光遊覧船が運行されており、船に乗って遊覧することができる[2]。
脚注
- ^ 隠岐の明神松など国の天然記念物に『大阪毎日新聞』昭和2年6月16日山陰版(『昭和ニュース事典第1巻 昭和2年-昭和4年』本編p231 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ “加賀の潜戸コース-潜戸観光遊覧船~神話と神秘の郷・島根半島の景勝、島根町~”. 2022年11月1日閲覧。
参考文献
- 小泉八雲「加賀の潜戸」『小泉八雲コレクション 虫の音楽家』池田雅之編訳、筑摩書房〈ちくま文庫〉、2005年、310-333頁、ISBN 4-480-03994-5。
関連項目
外部リンク
座標: 北緯35度34分37.12秒 東経133度2分58秒 / 北緯35.5769778度 東経133.04944度
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