湖・河川
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/15 02:59 UTC 版)
施設周辺の湖や河川は放射性廃棄物の捨て場となっていた。とくに再処理のときに生じる放射性で液体廃棄物はプルトニウム生産開始後数年、テチャ川に流された。排水口近くの川底に沈殿した放射性同位体が川下へ流されるのを防止するため、時代の流れとともに、運河やダムを使った大規模システムが造られた。もともとテチャ川はイルチャシュ湖から出てキュスユルタシュ湖を通っている。今はこの川の水は大部分、湖に来る前に左側・北へ斜めに続く運河を通って40 kmほど移され、その後、もともとの川へと流れている。 この措置の中で、いくつかの人工的なダム(V-3、V-4、V-10、V-11)が元の川の流れに作られ、そのうちV-10は最も汚染のひどいところで、およそ8500テラ・ベクレル(TBq, 8.5×1015 Bq) の放射性を示している。以前、V-10ダムの場所でテチャ川に合流していたミシェリャック川も右側・南の運河でダムへ導かれている。これらの運河は広さ30平方キロメートルのアサノヴォスキー湿地へ流れ込み、ここは220 TBq (2.2×1014 Bq) の強さで汚染されている。 V-3ダムは1951年に0.78 平方キロメートルの広がりに設置された。V-4(1.6平方キロメートル)ダムは、1956年にすでに存在したダムを高く改造した、かつてのメトリンスクダムを元に造られた。V-3とV-4の貯水容量は弱放射性下水が一年に流れる量に大体一致する。V-10(18.6 平方キロメートル)は1956年に設置されV-4ダムから流れてくる水をためる。最後のダム水槽V-11は47.50 平方キロメートルの最大のものだ。これは1963年に造られた。V-10ダムがすぐに満水になるので、それに続くダムとした。だが、V-11ダムの水準も同じように危険な高さになっている。この水準を下げるためには建設中の南ウラン原発の冷却水のタンクとして水を使うべきだろう。水温が上がると蒸発が強くなるからだ。北の運河は1962年に南のは1972年に建設された。 液体の放射性廃棄物が貯めてある他の湖死水域はカラチャイ湖(約4 エクサ・ベクレル, 4 · 1018 Bq)とスタロジェ・ボロト池(ダムのせいで起きた汚染・約74 ペタ・ベクレル, 7.4×1016 Bq). である。このカラチャイ湖は現在ほとんどの部分をセメントで埋め、放射性物質の飛散を防いでいる。この湖の広さは1962年には0.51 平方キロメートルだったが1994年には0.15 平方キロメートルまで狭められた。
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