渥美電気設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 17:46 UTC 版)
「豊橋電気 (1921-1939)」の記事における「渥美電気設立」の解説
民営化決定をうけて町会から選ばれた電灯売却委員や町長山本右太郎が調査を行った結果、山内元平ら旧田原電灯発起人を売却先とするのが適当と認められ、1917年7月23日付で事業売却契約が交わされた。譲渡価格は6万2000円である。次いで10月7日、発起人に国府の武田賢治と豊橋の今西卓を加えること、両名を含む計7名の発起人により「渥美電気株式会社」を新設し民営化の受け皿とすることが町会で承認された。その新会社・渥美電気は翌1918年(大正7年)3月19日、田原町大字田原字北番場に資本金20万円(5万円払込)で設立。同年5月24日付で逓信省からの事業譲受認可を得たのち、6月11日に町営事業を引き継いで開業に至った。 渥美電気の役員には山内元平ら田原町の人物が名を連ねるほか、代表取締役に武田賢治、取締役に今西卓が就いている。両名は当時の豊橋電気経営陣であり、武田は同社専務取締役、今西は同社技師長兼支配人であった。人的関係が生じたこの豊橋電気は、渥美電気設立に先立つ1917年1月に田原町豊島(現・田原市豊島町)にあった三河セメントへ至る送電設備を完成させていた。渥美電気でも福江電灯とともに豊橋電気から受電することとなり、共同で神戸村に受電所を設置して受電を始めた。受電工事は1919年(大正8年)2月末に完成。渥美電気分の受電高は35キロワットであった。 1920年(大正9年)2月、名古屋逓信局により電灯未点火地域の調査が実施された。この調査によると、渥美電気の供給区域では田原町の東部、神戸村の南部、田原町西に位置する野田村の全域が未点灯で、翌年までに採算があわない神戸村の一部集落を除いて順次供給が始まる見込みであった。1921年(大正10年)9月末時点での電灯数は6407灯(休灯含む・需要家数2849戸)、電動機数は40台・計88.5馬力を数える。
※この「渥美電気設立」の解説は、「豊橋電気 (1921-1939)」の解説の一部です。
「渥美電気設立」を含む「豊橋電気 (1921-1939)」の記事については、「豊橋電気 (1921-1939)」の概要を参照ください。
- 渥美電気設立のページへのリンク