渥美清との交流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 09:28 UTC 版)
大学時代に学生運動にかかわり公安当局からマークされ浅草に潜伏中、銭湯で渥美清と知り合い、何度もプライベート旅行に行くなど親友となった。渥美の死後発見された晩年の手帳の最後のページに「……家族で旅行に行こう。ギョウさん(早坂暁の暁を音読みしたもの)も一緒に……」と綴ってあった。 2006年に放送された「渥美清の肖像〜知られざる役者人生〜」によると、早坂は渥美が大変才能のある役者であるにもかかわらず、「寅さん」以外の役をほとんど演じられなかったことを危惧し、また渥美本人の希望もあって渥美主演の作品を数作企画・用意していた。クランクイン寸前の作品もあったが「寅さん」のイメージに縛られるなど、諸々の事情により実現しなかった。しかし、渥美には、初期のテレビドラマ「泣いてたまるか」や、「土曜ワイド劇場」の第1回作品の「田舎刑事」シリーズなどの脚本を書いており、いずれも「寅さん」ではない渥美の魅力が引き出された名作となっている。 1996年8月13日に松竹大船撮影所で開かれた「寅さんとのお別れの会」では弔辞を読んでいる。
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