渥美半島への移住
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 02:43 UTC 版)
1949年11月、同じ学校で共にインターンであった北山吉朗と結婚。同年12月には、愛知県渥美郡泉村(現在の田原市)に夫婦で移住。1950年1月に同村内の診療所で内科を開業した。その後、産婦人科医となることを決意、1956年から産婦人科の研修を受け始め、優生保護法指定医師となった。日本共産党員としては、夫婦共に泉村に隣接する福江町に住む文学者の杉浦明平が指導する党の地方組織(福江細胞)のメンバーとなった。しかし、1960年の安保反対運動に関する路線対立を機に、杉浦明平や夫と共に離党した。1960年代以降、短歌や随筆などの執筆活動がはじまるが、そのきっかけは1959年、杉浦明平の推薦で短歌結社「未来」に加入したことであった。
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