渡邊直子
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渡邊 直子(わたなべ なおこ、1981年10月27日 - )は、日本の登山家。日本人女性初となる8000メートル峰14座全てに登頂した。
来歴
1981年10月27日、福岡県大野城市に生まれる。家族の影響を受けて3歳から登山を始める。10歳のときに冬の登山を経験する。12歳のときに日本人とパキスタン人の子供達とパキスタンの雪山4700mを登り、フジテレビのニュースJAPANで放送された。
大野城市立大利小学校、大野城市立大利中学校を経て[1]、2000年福岡県立春日高等学校卒業。2003年韓国・済州大学校交換留学。2004年長崎大学水産学部水産学科卒業。2009年日本赤十字豊田看護大学看護学部看護学科卒業。看護師のかたわら登山を行う[2][3]。
登山歴
- 日本人女性初8000m峰14座登頂
- 日本人女性初世界トップ3座(エベレスト、K2、カンチェンジュンガ)登頂
- 日本人女性初1年以内8000m峰3座登頂
- 日本人女性初カンチェンジュンガ登頂
- 日本人女性初アンナプルナⅠ峰登頂
- 8000m峰27回登山[4]
- 2000年 - マルディヒマール登頂。世界最年少記録(19歳)。
- 2002年 - アイランドピーク登頂。
- 2006年 - チョオユー登頂。
- 2008年 - メラピーク登頂。
- 2011年 - エベレスト8700mにて断念。
- 2013年 - エベレスト登頂。
- 2014年 - マカルー登頂。日本人女性2人目記録。
- 2015年 - アンナプルナI峰7900mにて断念。
- 2016年 - アンナプルナI峰7500mにて断念。
- 2016年 - マナスル登頂。
- 2017年 - カンチェンジュンガ8150mにて断念。
- 2017年 - ナンガパルバット7300mにて断念。
- 2018年 - カンチェンジュンガ8300mにて断念。
- 2018年 - K2登頂。日本人女性2人目。
- 2019年 - アンナプルナI峰登頂。日本人女性初。
- 2019年 - カンチェンジュンガ登頂。日本人女性初。
- 2019年 - マナスル登頂(2回目)
- 2019年 -ダウラギリ7200mで断念。
- 2021年 春- ダウラギリ6500mで断念。
- 2021年-ローツェ5935mで断念。
- 2021年秋 - ダウラギリ登頂。
- 2022年5月13日-ローツェ登頂。
- 2022年7月2日-ナンガ・パルバット登頂。
- 2022年7月21日-ガッシャーブルムII峰登頂。
- 2022年7月27日-ブロード・ピーク登頂。
- 2022年8月12日-ガッシャーブルムI峰登頂。
- 2022年マナスル再登頂。登頂位置変更のため、メインピーク登頂。
- 2023年5月14日-マカルー二度目登頂。
- 2023年K2二度目の登頂。
- 2024年7月28日-K2三度目の登頂。
- 2024年10月9日-シシャパンマ登頂。日本人女性初の8000メートル峰14座全てに登頂する。
補足
8000メートル峰を14座全てに登頂成功したのは日本人女性初の記録である。また、8000メートル峰を1シーズンで3座登頂成功したこと、世界の最高峰である3座(エベレスト、K2、カンチェンジュンガ)を登頂成功したのは日本人女性初の記録である。
脚注
- ^ “渡邊直子”. 2023年6月21日閲覧。
- ^ ヒマラヤに挑戦を続ける看護師・渡邊直子さん(2017年11月18日)認定NPO法人ピーク・エイド
- ^ 現役看護師の登山家 渡邊直子さんにインタビュー!ヒマラヤ裏エピソードと山の楽しみ方(&Green)
- ^ 自身のInstagramにて 2023/1/28
参考文献
- 雑誌『山と溪谷』2020年5月号1022号(発売日2020年4月15日)JAN 4910088110507
- 日本経経済新聞2019年6月13日発刊
外部リンク
- オフィシャルホームページ
- 渡邊直子 Naoko Watanabe Nurse Climber (@nimayanji) - X(旧Twitter)
- 渡邊直子 Naoko Watanabe Nurse Climber (naokowatanabe8848) - Facebook
- Naoko Watanabe (@naokowatanabe8848) - Instagram
- 渡邊直子。Naoko Watanabe Channel - YouTube
渡辺直子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/17 04:40 UTC 版)
渡辺 直子(わたなべ なおこ、1946年2月14日 - )は、日本の歌手、タレント。元フジテレビアナウンサー。本名は料治 直子(りょうじ なおこ)。旧姓は渡辺。夫は元TBSアナウンサーで報道記者としても活動した料治直矢。
来歴・人物
東京都生まれ。東京都立駒場高等学校を経て、1966年3月、青山学院女子短期大学英文科(のちの英文学科)を卒業した。1966年4月、フジテレビに入社した。入社直後に「ママとあそぼう!ピンポンパン」に起用され、初代お姉さんに就任した。明るく快活なキャラクターがお茶の間の人気を博した。1968年4月にフジテレビを退社し、フリーに転身した。「ママとあそぼう!ピンポンパン」専属となる。1971年10月の番組卒業後、タレント・歌手に転向し、子供を対象として活動した。1982年3月31日のママとあそぼう!ピンポンパン最終回に、歴代のおねえさん(初代おねえさん)としてVTRで出演した。
1978年4月 - 9月、フジテレビ「日本の童謡」に出演[1]。その後、TBSテレビ「お天気ママさん」でお天気キャスターを務めた。
フジテレビ時代の同期は大林宏、野間脩平、岡正、宮崎総子などがいる。 私生活では料治直矢と、1980年2月18日にハワイ・カウアイ島のシダの洞穴で2人だけの結婚式を挙げた。1980年11月15日、第一子の長男・料治 弦太(りょうじ げんた)が誕生した[2]。弦太誕生から2年後の1982年1月12日、第二子の長女・料治 蕉子(りょうじ しょうこ)が誕生した[3]。1997年7月31日、夫の直矢が敗血症のため、61歳で死去した。
出演番組
- ママとあそぼう!ピンポンパン(フジテレビ)
- 1966年10月3日 - 1971年10月2日、初代おねえさん
- 1976年10月18日・10月19日、ピンポンパン放送10周年記念として、石毛恭子と共に出演[4]。
- 1982年3月31日・最終回、初代おねえさんとしてVTR出演。
- 世界名作童話 まんがシリーズ(1975年)[5]
- 小川宏ショー(フジテレビ、1976年10月5日)
- 『日本の童謡』(フジテレビ、1978年4月 - 9月 )
- 『お天気ママさん』(TBSテレビ)- お天気キャスター
など。
ディスコグラフィー
- みんなであそぼうピンポンパン なおこおねえさんといっしょ
- 渡辺直子 うたう童話
- ピンポンパンどうよう集1
- ピンポンパンどうよう集2
- みんなであそぼう!ピンポンパン えかきうた集
- ママとあそぼう!ピンポンパンのえかきうた
吹き替え
脚注
- ^ [今週の顔]渡辺直子(6年半ぶり お姉さん帰る) はりきる"10年目の新人" 『朝日新聞』朝日新聞社。1978年4月24日・朝刊テレビ欄 24頁。
- ^ 『週刊平凡』マガジンハウス。1987年2月13日号 ドキュメント・シリーズ「妻たちの闘い」料治直矢夫人 料治直子さん(40歳) 48頁。
- ^ 『週刊平凡』マガジンハウス。1987年2月13日号 ドキュメント・シリーズ「妻たちの闘い」料治直矢夫人 料治直子さん(40歳) 48頁。
- ^ [TVトピックス]三代の"おねえさん"10周年の「ピンポンパン」に出演。 『読売新聞』読売新聞社。1976年10月12日朝刊 28頁。
- ^ “「世界名作童話 まんがシリーズ」リスト - 知られぬアニメーション:楽天ブログ”. 楽天ブログ. 2023年3月18日閲覧。
- ^ ピンポンパン3代お姉さん集合 『毎日新聞』毎日新聞社。1976年10月5日・(東京)朝刊テレビ欄。22頁。
固有名詞の分類
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