渋谷駅で銃撃事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 14:04 UTC 版)
「渋谷駅駅員銃撃事件」の記事における「渋谷駅で銃撃事件」の解説
熊谷は被害者Aを殺害した後、犯行を後悔しながらも自身が逮捕されることを恐れ、事件翌日には友人から提供してもらっていた横浜中華街のねぐらを引き払い、山谷のドヤ(簡易宿泊所)に移動した。その後、「渋谷駅の地下事務所には大金庫があり、1週間分の売上が貯め込まれている」と考え、同駅で駅員を襲撃して売上金を奪うことを決めた。熊谷はそれに向けて下見を始め、駅員の通り道を確認し、事件の数日前には簡宿を出てレンタカーを借り、車中泊した。熊谷は事件当時、「犯行後、手にした金を元手に六本木で、世界でも類を見ないような酒場を経営したい」と考えていたが、事件後に自著 (2006) で「今思えば襲撃そのものも、その人生設計も妄想の産物に過ぎなかった」と回顧している。また、事件直前には残された自身の娘の行く末を案じつつ、「もし襲撃が失敗すれば、自分には死刑か自殺しか道は残っていない」と考えていた。 事件当日(2004年6月23日)8時45分ごろ、熊谷は拳銃を持って渋谷駅に向かい、駅員を待ち伏せていたところ、駅員が通りかかった。この駅員が本事件の被害者男性(事件当時32歳・東京メトロ渋谷駅無区統括駅務係)で、男性は渋谷駅(銀座線)での泊まり勤務を終え、着替えのための洗面道具などを入れた紙袋を持ち、半蔵門線の駅事務所(地下1階)に向かっていた。熊谷は駅員の後をつけ、地下鉄定期券売り場(半蔵門線)の5, 6メートル手前で駅員に近づき、紙袋をひったくろうとした。駅員は抵抗したが、熊谷は駅員の横腹に拳銃を突きつけ「おとなしく(紙袋を)こっちへ渡せ!渡さないと撃つぞ!」と脅した。しかし駅員が紙袋を離さなかったため、熊谷は殺意を有した上で拳銃の引き金を引いて発砲した。そして紙袋を奪い、駅構内に入って東急東横線のホームに向かい、同線の特急電車に乗車して逃走したが、電車の中で奪った紙袋の中身を調べたところ、金銭は入っていなかった。熊谷は自由が丘駅で下車し、ゴミ箱に帽子・奪った紙袋を捨て、しばらく歩いた先にあったバス停からバスに乗車していったん渋谷に戻り、レンタカーの車内で着替えて横浜へ移動し、蒔田公園で車中泊した。熊谷は当時の心境について、自著 (2006) で「自分の命を賭けてまで無意味な犯行を重ねたことに慄然とし、『キヨスク襲撃に失敗した時に自殺すべきだった』と後悔した」と述べている。 銃撃された被害者の駅員は右腹部に銃弾を受けて重傷を負い、東京都立広尾病院に搬送された。命に別状はなかったが、全治まで約3か月間を要する胃損傷などのほか、脊椎損傷などの傷害を負った。そのため、回復不能な右足の完全麻痺など、重篤な後遺症を負って社会的活動を著しく制約され、生活・人生を大きく狂わされた。事件を受け、東京メトロは事件翌日(6月24日)朝から乗降客の多いターミナル駅計14駅で警備員を1, 2人増員し、特に現場となった渋谷駅では警備員を通常の2人から4人に増やして構内を巡回させた。
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