清元協会設立
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1943年(昭和18年)に延寿太夫が没し、清元の分裂に際しての直接の蟠りを持つ者が高輪派にいなくなったこともあり、寿兵衛は両派合同による清元協会設立を考えるようになった。 外部の協力者もあり、また両派の演奏家の中にも設立を許す動きが見られたため話は進み、六代目延寿太夫と会談した寿兵衛は正式に清元協会設立に奔走する。設立にあたって寿兵衛は清元宗家の延寿太夫を会長として立て、また延寿太夫は年長者の寿兵衛を名誉会長として立てた。かくして1965年(昭和40年)2月27日、設立祝賀パーティーを開き、正式に披露した。 これを機に両派合同による演奏会を開くべきだと考えた寿兵衛は、その準備に奔走する中で病に倒れ、結局演奏会を開くことなく無念の逝去となった。寿兵衛の遺志を継いだ会員は寿兵衛没の約1か月後となる1966年(昭和41年)7月3日、歌舞伎座において第1回の演奏会を開催した。しかし、清元協会は後に梅派からの合同演奏の呼びかけに高輪派が応じないことから梅派が離脱し、寿兵衛が心血を注いだ両派合同は霧散する結果となった。 しかし、2010年(平成22年)NHKエンタープライズの取りなしにより両派の現家元が和解。 同年8月24日国立劇場に於いて「芸の真髄シリーズ第四回 清元~清き流れ ひと元に~」が開催され、88年振りに現梅吉と現清元宗家延寿太夫と共演。二人の曾祖父(五代目清元延寿太夫と二代目清元梅吉)が初演した「隅田川」を国立劇場で共演披露。 翌2011年(平成23年)に従来の清元協会に梅派が再合流する形で新生清元協会が誕生。延寿太夫が会長に、梅吉が副会長に就任。 その間も一部で両派演奏家が交わっての演奏も行なわれたが、2012年(平成24年)8月29日、三越劇場で『清元協会演奏会』を開催し、梅派も揃って出演。名実共に両派合流が果たされた。
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