清代前期のその他の画家とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 清代前期のその他の画家の意味・解説 

清代前期のその他の画家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:09 UTC 版)

中国の絵画」の記事における「清代前期のその他の画家」の解説

袁江(えんこう生没年不明) - 揚州の人。宮廷画家で、青緑楼閣山水よくした袁耀えんよう活動期1739 - 1778年) - 揚州画家。袁江の甥。おじの袁江と同様、青緑楼閣山水よくしたが、おじと違って宮廷仕えた記録はない。 禹之鼎(うしてい、1647 - ?年) - 揚州の人。康熙年間宮廷画家で、山水画描いたが、特に肖像画よくした郎世寧ろうせいねい、1688 - 1766年) - イタリアミラノの人。名はジュゼッペ・カスティリョーネ(Giuseppe Castiglione)。キリスト教宣教師として康熙54年1715年)に中国入り康熙雍正乾隆3代宮廷画家として仕えた山水花鳥などの中国画題を、西洋画法を取り入れた写実的画法描いた。 金廷標(きんていひょう、生没年不明) - 乾隆年間宮廷画家。独特の鋭い線描故実人物画などを描いた高其佩(こうきはい、1660 - 1734年) - 本籍山東だが、遼寧鉄嶺移った。筆を使わず指先や爪に墨をつけて描く「指頭画」の作家で、多く追随者を生んだ山水花鳥人物のいずれもよくしたが、特に鍾馗の絵を多く描いた沈銓(しんせん、1682 – 1761?年) - 浙江徳清(または呉興)の人。南蘋(なんぴん)と号した1731年日本長崎渡って3年ほど滞在し、後の日本画壇に大きな影響与えた画風南宋院体画風に西洋画風を加味している。 奚岡けいこう、1746 - 1803年) - 銭塘の人。黄公望沈周文徴明らの文人山水画系統を継ぐが、奚岡自身科挙応じず、生涯平民であった清初の「四王以後正統派画人の中では有力な存在である。 改琦(かいき、1774 - 1829年) - 先祖西域の人だが、松江上海)に移った。仕女図をよくした。 費丹旭(ひたんきょく、1801 - 1850年) - 湖州烏程の人。家が貧しく、売画で生計立てた。仕女図と肖像画知られる

※この「清代前期のその他の画家」の解説は、「中国の絵画」の解説の一部です。
「清代前期のその他の画家」を含む「中国の絵画」の記事については、「中国の絵画」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「清代前期のその他の画家」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「清代前期のその他の画家」の関連用語

清代前期のその他の画家のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



清代前期のその他の画家のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの中国の絵画 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS