清代の葉子戯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 15:56 UTC 版)
清代には「葉子戯」という語の意味は多岐にわたる。ある著者は古人の著作を引用するために「葉子戯」に言及するとき、彼らの知る前代の解釈を使用した。たとえば『談書録』には「紙牌之戯、前人以為起自唐之葉子格・宋之鶴格・小葉子格、然葉格戯似兼用骰子、蓋与今之馬吊・遊湖異矣」といい、そこで引用しているのは唐代の解釈である。しかし高士奇の『天禄識余』では「葉子、如今之紙牌・酒令」といい、基本的に明代の解釈をしている(ただし唐代の葉子を紙牌・酒令と誤解している)。さらに葉子戯を馬弔自身と解釈することもあった。たとえば『分甘余話』および『蜀碧』がそうである。さらに「葉子格戯」を紙牌を使ったゲームの総称として使うこともあった。たとえば李斗『揚州画舫録』。 唐の葉子格は遥か以前に失われていたが、清代の著作家の多くは唐の葉子格を紙牌のことと誤解していた。前述の高士奇『天禄識余』や趙翼の『陔余叢考 葉子戯』がその例である。
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