清代の爵位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 00:07 UTC 版)
清代の爵位も明代と同様に宗室のものとモンゴル貴族のものと功臣・外戚のものとに分かれていた。宗室のものは和碩親王(hošoi cin wang、ホショイしんのう)・多羅郡王(doroi giyūn wang、ドロイぐんおう)・多羅貝勒(doroi beile、ドロイベイレ)・固山貝子(gūsai beise、グサイベイセ)・奉恩鎮国公(kesi be tuwakiyara gurun be dalire gung、ほうおんちんこくこう)・奉恩輔国公(kesi be tuwakiyara gurun de aisilara gung、ほうおんほこくこう)・不入八分鎮国公(jakūn ubu de dosimbuhakū gurun be dalire gung、ふにゅうはちぶんちんこくこう)・不入八分輔国公(jakūn ubu de dosimbuhakū gurun be aisilara gung、ふにゅうはちぶんほこくこう)・鎮国将軍(gurun be dalire janggin)・輔国将軍(gurun be aisilara janggin)・奉国将軍(gurun be tuwakiyara janggin)・奉恩将軍(kesi be tuwakiyara janggin)があった。一般に爵位は世襲であるが、父の爵位より一級下のものとなる。ただし功勲などにより例外もあった。 ハーンやモンゴル貴族には親王・郡王・貝勒・貝子・公・一等 - 四等台吉(taiji、タイジ)・一等-四等塔布嚢(タブナン)が授けられていた。タイジは本来は太子の意でチンギス・ハーンの子孫の称号であった。タブナンはカラチン三旗とトメット左翼旗でタイジに相当する地位として用いられていた。 下の表は功臣・外戚の爵位の変遷である。 官品1620年(天命5年)1634年(天聡8年)1643年(順治元年)1736年(乾隆元年)1751年(乾隆16年)超品(jergici lakcaha) 五備御之総兵官 一等公(uju jergi gung) 一等 - 三等公(
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