活火山の定義を見直すきっかけとなった有史以来の水蒸気爆発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:51 UTC 版)
「御嶽山」の記事における「活火山の定義を見直すきっかけとなった有史以来の水蒸気爆発」の解説
1979年(昭和54年)の水蒸気爆発以前において、御嶽山は火山学者の多くと一般大衆から死火山と認識されていた。実際、当該爆発を伝える新聞見出しも「死火山大爆発」などと報道された。このことから、この時点において御嶽山は死火山であるとの認識が一般的であった。ところがこれは不正確な認識が一般的となっていたことを示しているにすぎない。例えば19世紀前半の文献には実際に噴気活動の証拠を示す現象が記録されている。また 気象庁も、1968年(昭和43年)刊行の『火山観測指針』において御嶽山を「御岳山」として63座の活火山の一つとして掲載しており、直前の1975年(昭和50年)刊行の『日本活火山要覧』の77活火山にも包含されていた。 1979年当時は、定常的な観測体制が整備されていなかったため明確な前兆現象が観測されず、また活動自体も山麓から噴気が観察できる規模ではないまま同年10月28日に水蒸気爆発を起こし、約1,000 mの高さにまで噴煙を噴出した。同日5時頃に発生した噴火は14時に最大となり、その後衰退した。噴出物の総量は約二十数万トン。噴煙は北東方向に流れ、長野県軽井沢町や群馬県前橋市にまで降灰が観測された。 この噴火をきっかけとして、日本国内における火山の分類(死火山、休火山、活火山の定義)そのものが見直されるに至った。現在では「活火山」以外の用語は使用されない。
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