活版印刷との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 04:46 UTC 版)
北宋時代に活字が発明されたが、中国と日本では、印刷の主流は木版印刷であった。活字を用いる活版印刷が普及しなかった理由としては、文字数が多いため多くの活字を揃えておくことが困難だったこと、それよりも職人が作る木版の方が自由度も高く効率的であること、紙型がなかった時代には増刷が不可能だったこと、日本では漢字とかなを複雑に交えた文章が好まれたことにある。 明治初期が木版印刷から活版印刷への移行期である。『学問のすゝめ』や『西国立志編』など当時のベストセラーも木版印刷・和装の本であった。1877年 (明治10年) 、秀英舎 (のちの大日本印刷) が刊行した『改正西国立志編』が活版印刷・洋装本を広めるきっかけになった。
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