活版印刷の発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 14:01 UTC 版)
パリの印刷業者であるピエール・オータン(英語版)は譜線と音符を同時に印刷する方式を1525年に発明し、ピエール・アテニャン(英語版)によって1527年に初めて使用された。この方式は発行部数を飛躍的に増大させ、したがって楽譜の価格を大幅に引き下げることに成功した。アテニャンがこれらを実現できたのは、フランス王フランソワ1世による支援のおかげでもあった。ただ、この方式では活字と活字の間に僅かな隙間ができてしまい、刷り上がりの美しさはペトルッチの方式には劣るものであった。 一方で、従来の木版印刷もアンドレア・アンティーコ(英語版)などによって続けられた。この方式は、木板に完全な楽譜のページを彫ることによる一枚刷りであった。ただ、間違いが発生すれば、彫っていた板を破棄し、一からもう一度始めなければならなかった。 17世紀に入ると、楽譜印刷は一時的な衰退を迎えた。1618年に始まる三十年戦争などから17世紀初頭から中頃にかけてヨーロッパ全体が不況に陥り、購買層の減少や用紙の価格上昇を招いた。また、1580年以降新たな活字が滅多に作られなかったため活字が飽和状態に達し、出版家の間での競争が激化したことにも起因する。 植字による活版印刷楽譜の出版はペトルッチ以来約250年にわたって続けられた。18世紀に入ると、和音の多い音楽に適するような印刷方法が考案された。1755年、ライプツィヒのイマヌエル・ブライトコプフ(英語版)は、音符を符頭や符尾などに細分し、音部記号や拍子記号、表情記号などのあらゆる活字を揃えた細分植字法を開発した。
※この「活版印刷の発展」の解説は、「楽譜浄書」の解説の一部です。
「活版印刷の発展」を含む「楽譜浄書」の記事については、「楽譜浄書」の概要を参照ください。
- 活版印刷の発展のページへのリンク