活動休止期(2006年から2012年まで)
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「カシオペア (バンド)」の記事における「活動休止期(2006年から2012年まで)」の解説
活動休止期間中のメンバーの音楽活動はそれぞれリーダープロジェクトを立ち上げてのソロ活動が中心となっていた。この期間中は一度たりともリユニオンによるライブやレコーディングはなされなかったが、メンバー各々で集まっての音楽活動や、参加するライブでカシオペアの曲は演奏されていた。 活動休止したその年から、鳴瀬は野獣王国やURUGOMEに加えて、カシオペアに提供した自作曲を中心に披露するためのユニット、Narucho-ICE(ナルチョイス)を結成して定期的にライブ活動開始。ベース、ギター、ドラム、ホーン×3の6人編成に、初期は向谷がゲスト扱いで毎回参加し、向谷の自作曲や野呂が書いた代表曲も演奏された。野呂も2009年と2012年の合計2回参加して「ASAYAKE」や「FIGHT MAN」などの自作曲にして代表曲を演奏したが、野呂と向谷の両人がそろって参加することはなかった。 向谷は鉄道事業の音楽制作において起用しているミュージシャンらで構成したユニット、向谷実とメロディーズを結成した。キーボード、ギター、ベース、ドラム、サックス、バイオリンの6人編成で、ライブ活動では、メロディーズで制作した曲、過去の向谷のリーダープロジェクトで制作した曲に加えて、カシオペアでの自作曲も積極的に取り上げていた。カシオペアのメンバーとの共演としては、先述のNarucho-ICEへのゲスト参加、向谷実×中西圭三プロジェクトではレコーディングに鳴瀬と神保を起用、さらに神保とは実験的な音楽制作も行っていた。 2008年、野呂はカシオペアとそれまでのソロプロジェクトを分け隔てなく考えた、野呂曰く「自分がやりたいことをとことん追求」したアルバム『INNER TIMES』を制作し、レコーディングメンバーを制作中にバンド化させて、ソロ名義ではなくそのバンド名のISSEI NORO INSPIRITS(イッセイノロ・インスピリッツ)名義で発表する。ISSEI NORO INSPIRITSは、ギター、キーボード×2、ベース、ドラムの5人編成で、神保彰も参加している。この活動休止期間中に4枚のアルバム、1枚の映像作品を制作し、少ない本数ながらも定期的にライブも行っていた。ただし、作品においてもライブにおいてもカシオペアの曲は取り上げられることはなかった。なお、野呂と鳴瀬はともに東京音楽大学の講師で毎週のように顔を合わせていて、授業の一環で一緒に生徒たちの制作活動をサポートするときもある。 サポートメンバーだった神保は、演奏者が自分独りだけによるライブ、ワンマンオーケストラにおいて、休止後からカシオペアで自作した曲と「ASAYAKE」などの代表曲を取り上げて演奏していた。また、リーダーグループで2009年に出演した東京JAZZでは自作曲にして代表曲である「MID-MANHATTAN」を、そのオリジナルが収録された1982年のアルバム『FOUR BY FOUR』にも参加したギタリスト、リー・リトナーとセッションしたことから話題となった。
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