バンド活動休止期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 02:15 UTC 版)
《第I期》1987年 10月〜1988年3月 1987年(昭和62年) 10月、メンバーの事故によりバンドが休止状態に入った為、村越と土屋によるアコースティック・ユニット“JOY-POPS”始動。 11月18日、甲斐よしひろのKAI YOSHIHIRO & PROJECT Kに初参加でフジTV夜のヒットスタジオに出演。スライダーズ以外のバンドでギターを弾くのはこの時が初となる。その後も甲斐のツアー《STRAIGHT LIFE TOUR》にゲスト出演。以降、ライブやツアーに定期的にゲスト出演・ツアーメンバーとして参加するようになる。 1988年(昭和63年) 4月、『ROCK'N' ROLL DEF' TOUR』よりバンド活動再開。 1989年(平成元年) 12月9日、THE STREET SLIDERSより3枚組CDシングル「ROUTE S.S.」を限定数で発売。その中の1枚が土屋のソロで、編曲も佐久間正英と共に行なっている。 《第II期》1991年1月〜1993年3月 1991年(平成3年) アルバム『NASTY CHILDREN』のリリースとライブツアー『BIG BEAT, DANCE '90-'91』終了後、バンドは“冬眠”(無期限の活動休止)に入る。 1991年(平成3年) 個人事務所を設立した仲井戸麗市(チャボ)と再会。RCサクセションの“お休み”とスライダーズの“冬眠”、二つの偶然が重なり、ユニット麗蘭が誕生。全国31カ所ライブツアー《麗蘭との夕べ》を敢行。 10月。全国ツアーだけで終わる予定だった麗蘭が、ライブビデオの発売とスタジオ録音盤も残す話になった。レコーディングの際、土屋のプロデュース能力を高く評価するレコード会社のエピソードが残されている。 1992年(平成4年) 1992年10月、G.D.FLICKERSの6曲入りミニ・アルバムのサウンド・プロデュースを手掛ける。 1993年(平成5年) ライブツアー『The Street Sliders Live'93 “沈黙の答え”』を全国9カ所で開催。バンド再始動への期待が高まったが、このライブ後バンドは再び活動休止に入る。 《第III期》1993年4月〜1994年3月 1993年9月、土屋のソロ・プロジェクトThe 99 & 1/2 (ザ ・ナインティナイン・アンド・ハーフ)が始動。 1994年(平成6年)4月 『THE STREET SLIDERS Tour'94《不滅》』より活動再開。 2000年(平成12年) 2000年10月29日 (2000-10-29)、日本武道館でのラストライブをもってTHE STREET SLIDERS解散。
※この「バンド活動休止期」の解説は、「土屋公平」の解説の一部です。
「バンド活動休止期」を含む「土屋公平」の記事については、「土屋公平」の概要を参照ください。
- バンド活動休止期のページへのリンク