泰仏戦争勃発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:49 UTC 版)
1940年6月にフランス本国がドイツに敗れたこと、独仏休戦(1940年6月17日)前にフランスが不可侵条約を批准していなかったこと、その上に日本軍による仏印進駐が迫っていたことなどの状況から、タイはフランスに対して旧領回復への行動を開始した。 タイのプレーク・ピブーンソンクラーム政権は、フランスのヴィシー政権に対し、1893年の仏泰戦争(英語版)でフランスの軍事的圧力を受けて割譲せざるを得なかったフランス領インドシナ領内のメコン川西岸までのフランス保護領ラオス(フランス語版)の領土と主権や、フランス保護領カンボジア(英語版)のバタンバン・シェムリアップ両州の返還を求めたが、ヴィシー政権下の仏印政府はこの要求を拒否した。 ついに11月23日にタイとフランス領インドシナ政府との間でタイ・フランス領インドシナ紛争が勃発し、物量と地の利に勝るタイ軍は仏印軍に対して優位に戦いを進め、本国が占領下に置かれ武器や兵士の追加もままならない仏印軍は数多くの戦死者や負傷者を出すこととなった。 戦闘が拡大を続け終息する気配を見せない中、日本は、アジアにおける数少ない独立国かつ友好国のタイと同じく友好国のフランスが戦い国力が疲弊することを憂慮し、タイとフランスの間の和平を斡旋し始めた。しかし両国の主張は平行線をたどり、タイとフランスの間の戦いは日本の仲介による1941年5月8日の東京条約締結まで続いた。しかしタイ王国はこの紛争でフランスが奪った旧領を回復し、事実上の勝利を収めた。
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