法隆寺枡とは? わかりやすく解説

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法隆寺枡

主名称: 法隆寺枡
指定番号 29
枝番 0
指定年月日 1959.06.27(昭和34.06.27)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 歴史資料
ト書
員数 6口
時代区分 室町
年代
検索年代
解説文: 室町時代資料

法隆寺枡

主名称: 法隆寺枡
指定番号 33
枝番 0
指定年月日 1986.06.06(昭和61.06.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 歴史資料
ト書
員数 2口
時代区分 室町安土桃山
年代
検索年代
解説文: 法隆寺現存する康正二年(一四五六二月観音講天正二年(一五七四九月一升枡あわせて二口である。
 観音講は、材を用い四方口縁を竹で張ったいわゆる竹伏で、主に竹釘側面底面打込んで補強している。四方側面にはそれぞれ上宮王院」「堂司重秀」「康正二〈丙 / 子〉二月日」「観音講舛」の刻銘がある。観音講毎月十八日に礼堂行われた重要な法会であるが、このその際に料米の計量などに使用され寺内である。容積も今量の一升換算して四合七勺にあたり、他寺の寺内容量近似するさて、この刻銘がほぼ同じの一升枡法隆寺献納宝物東京国立博物館保管)の中にあり、その刻銘字体異なるが、三側面銘文は同じで、残る一面に「観音講舛移」とある。「移」とあることから、東京国立博物館容積は今量の九合七勺)は、法隆寺所蔵をほぼ二倍拡大して作成した写とも考えられるが、両の関係は末だ明らかではない。
 天正一升枡は、材を用いた竹伏で、竹釘にて留めている。四方側面にはそれぞれ天正二稔〈甲/戍〉九月日」「法隆寺」「聖皇院」「寺納」の刻銘があり、底面には伝領者のものと思われる墨書がある。容積は今量の一升換算して七合四勺ほどにあたる。これらによって、このは寺納枡一つで、聖皇院(聖霊院)のものであったことが判明する
 中世社会においては、各荘園領主、あるいは寺院内部でも多種多様な用いられていた。しかし、その具体的な遺品少なく、この法隆寺枡はともに年紀用途明らかにし、中世量制史、社会経済史研究上に貴重である。



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