沙耶のいる透視図
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/23 00:07 UTC 版)
『沙耶のいる透視図』(さやのいるとうしず)は、伊達一行が1983年に発表し、第6回すばる文学賞を受賞した小説。またこれを原作として同年製作され、1986年に公開された日本映画。
ストーリー
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映画
沙耶のいる透視図 | |
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監督 | 和泉聖治 |
脚本 | 石井隆 |
原作 | 伊達一行 |
出演者 | 名高達郎 高樹沙耶 土屋昌巳 加賀まりこ 山田辰夫 沢田和美 |
音楽 | 一柳慧 |
撮影 | 佐々木原保志 |
編集 | 大島ともよ |
製作会社 | プルミエ・インターナショナル |
配給 | ヘラルド・エース |
公開 | 1986年10月17日![]() |
上映時間 | 102分 |
製作国 | ![]() |
言語 | 日本語 |
主演・高樹沙耶[1][2]、名高達郎[2]、土屋昌巳[2]、脚本・石井隆、監督・和泉聖治。製作・プルミエ・インターナショナル、配給・ヘラルド・エース[2][3][4]。
ビニ本業界を舞台に、ビニ本カメラマン橋口裕(名高達郎)、ビニ本編集者神崎(土屋昌巳)、ビニ本モデル沙耶(高樹沙耶)の三角関係を描く[2][5]。
キャスト
スタッフ
製作
企画
伊達一行の原作は発表されるや、生々しいセックス描写がセンセーショナルな話題を呼び[6]、メジャー映画会社や独立プロ8社から映画化の申し込みがあり[6]、増田久雄プロデューサーが代表を務める制作会社・プルミエ・インターナショナル製作、日本ヘラルド映画配給で映画化が決定した[6]。1981年の池田敏春監督『天使のはらわた 赤い淫画』を見て石井隆の脚本に惚れ込んだ増田プロデューサーが、石井に脚色を依頼し製作がスタート[5]。『天使のはらわた 赤い淫画』もビニ本業界を舞台にしている。最年長が39歳という若いスタッフが結集した[6]。製作費1億円[6]。
脚本&キャスティング
石井隆脚本(脚色)は、原作者の相談なしに部分的にキャラクターも含めて変更している[7]。高樹沙耶は映画初出演で初主演し[1][8]、ハードな濡れ場やヌードも披露[1][9][10]。高樹は本作製作時はオスカープロモーションに所属し[8]、ティーン雑誌などで活躍する売れっ子モデルだったが[8][11]、「モデルの仕事は失っても悔いはない」[8]「女優になりたい」という一心から[8]、19歳のとき[12]、本作のオーディションを受け合格した[8]。ビニ本のモデルという役柄から、ヌードやハードな演技が要求され、本作出演でモデルの仕事は無くなった[8]。役名も気に入り本名は古臭いと感じていたため[8]、役名を芸名にした[1][8](2008年に本名に改名)[13]。
撮影&ロケ地
冒頭は原宿の夜景[4]。以降、破滅に向かう負性の愛の物語だけに都市の夜のシーンが続く。カフェバーは青山学院大学裏のK・Sバー[4]。ビニ本カメラマン・橋口裕(名高達郎)の住む二階建てのロフト付き住居は、当時もてはやされた東京のウォーターフロント、竹芝桟橋南側の倉庫を改造して作られたもので神経過敏なヒロインを包むにふさわしい空間になり、天井の高い空っぽの室内がヒロインの心の空虚さにも見合う[4]。橋口と沙耶(高樹)が昼間二人きりで会う場所も暗い水族館で、数少ない昼間のシーンが精神病院の患者たちの野外パーティという皮肉[4]。撮影日数18日[7]。
興行
高樹やスタッフの奮闘虚しく[7]、映画はお蔵入りし[4][8]、その後高樹の出演二作目だった『チ・ン・ピ・ラ』が先に公開された[8]。高樹が『オールナイトフジ』の司会に抜擢されるなど[8]、人気が出た三年後にヘラルド・エースの配給で日の目を見た[8][10]。本作が公開されて、高樹の芸名の由来を世間が知った[10]。また名高達郎も1986年に元ミス日本と婚約し、本作公開直前に突然婚約を解消して大騒ぎとなった時の人であった[14]。
山窩研究で知られた三角寛の経営する東池袋の名画座・文芸坐の尽力で、1986年10月「埋もれた新作発掘ロードショー」と銘打ち[5]、その第一回作品として文芸地下劇場で製作から3年が経った1986年10月17日に同劇場で公開された[2][5]。
作品の評価
評論
川本三郎は「『沙耶のいる透視図』は、日本の"ニコラス・ローグ"と呼びたいような透明なデカダンス感覚溢れる作品だ。アンニュイ、堕ちていく愛、精神錯乱ーここでは愛はほとんど"狂気"に近い。いや"狂気"では言葉が強すぎる。"微熱"といえばいいだろうか。このナーバスな男女の関係性は、原作者・伊達一行のもの以上に脚本の石井隆のものではないだろうか。ヒロイン・高樹沙耶の陰花植物的なけだるさも石井隆の"名美"を思わせる」などと評している[4]。
受賞歴
- 第8回ヨコハマ映画祭
- 撮影賞 佐々木原保志(『南へ走れ、海の道を!』と併せて)
- 審査員特別賞 本作のスタッフ [15]
ソフト状況
脚注
- ^ a b c d “2016お騒がせ&話題の女優濡れ場特選 高樹沙耶、石田ゆり子、岡本夏生、喜多嶋舞…”. ZAKZAK. 産業経済新聞社 (2017–01–04). 2025年7月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年7月23日閲覧。
- ^ a b c d e f “沙耶のいる透視図”. ナタリー. ナターシャ. 2025年7月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年7月23日閲覧。
- ^ a b c d 沙耶のいる透視図 - 国立映画アーカイブ
- ^ a b c d e f g 川本三郎「連載川本三郎の映画の東京地理学(12) 沙耶のいる透視図」『シティロード』1986年10月号、エコー企画、12頁。
- ^ a b c d 日本シナリオ作家協会編「作品解説『沙耶のいる透視図』文・鬼頭麟兵」『年鑑代表シナリオ集'86』ダヴィッド社、1987年、278-279頁。
- ^ a b c d e 「製作ニュース『沙耶のいる透視図』」『映画時報』1983年11、12月号、映画時報社、31頁。
- ^ a b c 「撮影報告 『死んでもいい』の後先 / 佐々木原保志」『映画撮影』第117号、日本映画撮影監督協会、1992年8月31日、28 - 31頁、NDLJP:7954682/16。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 「TALK special ニューいい女 INTERVIEW 高樹沙耶 『(?) ビニ本モデルをやってましたね 裸になるのは覚悟していました。わたし、思いっきりがいいですから』」『週刊平凡』1986年11月21日号、平凡出版、100-101頁。
- ^ a b 沙耶のいる透視図 デラックス版 | NBCユニバーサル・エンターテイメント(Internet Archive)
- ^ a b c 「Movieまにあっく 邦画遠眼鏡〈'86最新未公開情報〉」『シティロード』1986年1月号、エコー企画、23頁。
- ^ カリスマモデル・益戸育江が高樹沙耶容疑者になるまで
- ^ 高樹沙耶“大麻女優”と呼ばれて石垣島へ…男性4人と共同生活の現在
- ^ 高樹沙耶さん ⇒ 益戸育江さん 相棒スタッフブログ
- ^ 「ZIG・ZAG 『招待状も発想済み。婚約解消した名高達郎に不可思議』」『週刊宝石』1986年10月10日号、光文社、58頁。
- ^ ヨコハマ映画祭公式サイト(年表「ヨコハマ映画祭」)
外部リンク
固有名詞の分類
映画作品 |
ブッシュ・クリスマス 奥様の裸は高くつく 沙耶のいる透視図 大混乱 警鐘は響く |
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