江戸時代初期・中期の活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 13:54 UTC 版)
「八王子千人同心」の記事における「江戸時代初期・中期の活動」の解説
慶長18年(1613年)4月、大久保長安事件が発生。多くの武田遺臣が失脚する。 慶長19年(1614年)大坂冬の陣、慶長20年(1615年)3月15日大坂夏の陣に参戦。江戸の大火の時も出動が確認される。承応元年(1652年)より、交代で家康を祀る日光東照宮を警備する日光勤番が主な仕事となる。明暦3年(1657年)江戸城にて石坂正俊が入るべき部屋を誤って以降、八王子千人同心の同心頭一同が「躑躅間詰」から「御納戸前廊下詰」へ降格された。宝永2年(1705年)から宝永5年(1708年)まで江戸火の番を務める。宝永4年(1707年)富士山噴火(宝永大噴火)。大船村などで作物収穫できず。 寛政3年(1791年)より文政7年(1824年)までに江戸城内にて剣術の上覧が9回行われた。寛政12年(1800年)一部が蝦夷地開拓と警固を願い出て、許可されている。享和3年(1803年)に同心であった小嶋文平が玉川兄弟の話を「書状」にした。八王子は蘭学が盛んであり、安政4年(1857年)に同心であり医師である秋山義方が青木芳斎と共に活版印刷本を出版した。
※この「江戸時代初期・中期の活動」の解説は、「八王子千人同心」の解説の一部です。
「江戸時代初期・中期の活動」を含む「八王子千人同心」の記事については、「八王子千人同心」の概要を参照ください。
- 江戸時代初期中期の活動のページへのリンク