江戸時代前期〜中期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 09:03 UTC 版)
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康等が刀剣を政策的に利用したことで刀工の地位が上がった。また運輸交通の発達による砂鉄の確保、南蛮鉄の利用などにより、鍛刀法が変化した。埋忠明寿は古三条宗近の末孫を名乗り、綺麗な地鉄による作刀を行ったため、『校正古今鍛冶銘早見出』で新刀の祖と呼ばれている。その後、寛文新刀の時代を経るが、その後、元禄時代(1688年〜1703年)では最も衰微した時代となるが、徳川吉宗が享保6年(1721年)、全国から名工を集め鍛刀させ、一平安代、主水正正清、信国重包に一つ葵紋を許可し、尚武を推進し、次の新々刀期へむかう。 主な流派 山城国(埋忠明寿と埋忠派、堀川国広と堀川派)、伊賀守金道と三品派) 摂津国(津田助広と津田派、和泉守国貞派:井上真改) 紀伊国(南紀重国と重国派) 武蔵国(長曽禰虎徹、野田繁慶と野田派) 陸前国(山城大掾国包と国包派) 筑前国(信国吉貞と筑前信国派) 肥前国(初代忠吉と近江大掾忠広:陸奥守忠吉))(河内大掾藤原正廣) 薩摩国(氏房派:主水正正清、波平派:一平安代)
※この「江戸時代前期〜中期」の解説は、「刀工」の解説の一部です。
「江戸時代前期〜中期」を含む「刀工」の記事については、「刀工」の概要を参照ください。
- 江戸時代前期〜中期のページへのリンク