正廣とは? わかりやすく解説

正広

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/29 18:50 UTC 版)

正広(しょうこう、1412年 - 1493年?)は、室町時代中期の歌人。号は招月庵。法号ははじめ正晄・正晃と称した。日比(ひごろ)の正広とも称された[1]。没年については1494年ともされる。俗名を森彦右衛門範俊とする説は疑問が残る[1]

初め飛鳥井家のもとで歌道を学び、13歳で東福寺清巌正徹の有心歌風に傾倒して門弟になる[1]1459年(長禄3年)正徹がなくなると、招月庵を継いだ[1]。その後、大内教弘に招かれて周防国に下るが[1]応仁の乱(1466年-1476年)の難を避けるため、京都を離れて各地を訪れる[1]。この間、師正徹の歌集『草根集』の編纂や歌会の指導を行った[1]。1486年(文明18年)以降は、堺や摂津を拠点とし、飛鳥井雅親冷泉為広らと交わり、歌壇の指導者となった[1]

作品

  • 『松下集』 - 家集[2]
  • 『正広日記』(文明5年) - 紀行文。1473年(文明5年)駿河国に下った際の紀行文。
  • 『正広詠歌』(文明7年) - 文明6年から7年に詠んだ和歌が中心。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 日本古典文学大辞典編集委員会 『日本古典文学大辞典第3巻』岩波書店、1984年10月、340-341頁。 
  2. ^ 人物略歴”. 国立国会図書館. 2022年10月29日閲覧。




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「正廣」の関連用語

正廣のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



正廣のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの正広 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS