江戸時代以降の藤川天神
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 07:25 UTC 版)
「菅原神社 (薩摩川内市東郷町藤川)」の記事における「江戸時代以降の藤川天神」の解説
文化12年(1815年)には薩摩藩主島津重豪の命により藤川天神の修築改造が行われた。 歌人の八田知紀は天保8年(1837年)に藤川天神を参拝して以下の歌を詠んでいる。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}梅が香も かたじけなさも身にしみて おぼえず袖に 散る涙かな —八田知紀 薩摩藩の地誌である「三国名勝図会」には藤川天神が絵図付きで以下のように掲載されている(一部抜粋)。 藤川天神社 藤川村にあり、祭神天満大自在天神一坐、建立の年月詳ならず、土人の傳へに、延喜中、菅丞相筑前國大宰府に左遷し給へる時、其害を避て、潜に薩摩に來り、此地山水幽遽の境なるを以て、匿居し、終に此地にて薨じ玉ふ、因て此に葬る、後人祠廟を建て、祭祀を修すといへり、當社は一岡阜の上にあり、其地名を北野といふ、此地前後岡嶺相連りて、其中に谷川あり、藤川といふ、 —三国名勝図会巻之十二 明治時代になり、1875年(明治8年)に大修築が行われた。1910年(明治43年)に藤川にある現王神社などを合祀し、菅原神社の摂末社となった。
※この「江戸時代以降の藤川天神」の解説は、「菅原神社 (薩摩川内市東郷町藤川)」の解説の一部です。
「江戸時代以降の藤川天神」を含む「菅原神社 (薩摩川内市東郷町藤川)」の記事については、「菅原神社 (薩摩川内市東郷町藤川)」の概要を参照ください。
- 江戸時代以降の藤川天神のページへのリンク