汝窯と官窯とは? わかりやすく解説

汝窯と官窯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 14:05 UTC 版)

中国の陶磁器」の記事における「汝窯と官窯」の解説

青磁の名窯とされる汝窯の器は稀少で、現存するもの70数点とされている。現存する汝窯青磁大部分北京故宮博物院台北故宮博物院にあり、その他、上海博物館英国デイヴィッド財団大英博物館大阪市立東洋陶磁美術館などに所蔵されている。南宋の周輝の『清波雑志』に、「汝窯宮中の禁焼なり 内に瑪瑙末(めのうまつ有りて油となす ただ御に供し揀(えら)び退けまさに出売を許す 近ごろ尤(もっと)も得難し」とある。大意は「汝窯宮廷磁器で、釉には瑪瑙の粉が含まれている。もっぱら宮廷用の磁器であり、宮廷用に選ばれなかったものだけが販売許されたが、近年入手が困難である」ということである。このことから、南宋時代にはすでに汝窯青磁器が稀少になっていたとみられる北宋時代文献汝窯言及しているのは、徐兢の『宣和奉使高麗図経』が唯一の例とされている。同書は、徐兢が1123年、宋の使節として高麗滞在した時の見聞記である。ここで徐兢は高麗青磁について「汝州の新窯器に似た色だと高麗人称している」と記録している。ただし、この「汝州の新窯器」が現在汝窯青磁呼ばれている作品指しているのかどうか確証がない。現存する汝窯青磁特色は、釉色は失透性の淡い藍色で、表面には細かい貫入が入る。器種は碗、盤、瓶などの一般的なものが大部分で、青銅器模した器はない。装飾のある器はごく一部のみで、大部分無文である。変わったものとしては、「水仙盆」と称する脚付きの盆状の容器台北大阪1点ずつある。「水仙盆」の名のとおり、球根植物の栽培使用されたともいわれるが、正確な用途未詳である。汝窯青磁器の釉は高台内面にまでまんべんなく掛かる総釉で、土見せ部分がない。焼成時の溶着を防ぐためには細い支釘(ピン)が使用されたとみられ、高台内面にごく小さな目跡がみられる汝窯窯址長年であったが、河南省平頂山市宝豊県清涼寺窯址出土陶片伝世汝窯青磁一致することが、1987年上海博物館により発表された。発掘当たった河南省文物考古研究所見解では、汝窯官窯ではなく、貢窯であったという。貢窯とは、民間の窯に税として製品貢納命じたもので、官窯とは区別される。したがって、「汝官窯」という言い方適切でない北宋官窯については、南宋寘(ようし)の『坦斎筆衡』には「宣政の間、京師自ら窯を置きて焼造す。名づけ官窯曰う」とある。大意は、「宣和政和年間1111 - 1125年)に都の卞京(べんけい)に官窯置かれた」ということだが、この北宋官窯については、窯址製品ともに不明である。

※この「汝窯と官窯」の解説は、「中国の陶磁器」の解説の一部です。
「汝窯と官窯」を含む「中国の陶磁器」の記事については、「中国の陶磁器」の概要を参照ください。

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