汝窯と官窯
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青磁の名窯とされる汝窯の器は稀少で、現存するものは70数点とされている。現存する汝窯青磁の大部分は北京の故宮博物院と台北の故宮博物院にあり、その他、上海博物館、英国・デイヴィッド財団、大英博物館、大阪市立東洋陶磁美術館などに所蔵されている。南宋の周輝の『清波雑志』に、「汝窯は宮中の禁焼なり 内に瑪瑙末(めのうまつ)有りて油となす ただ御に供し揀(えら)び退けまさに出売を許す 近ごろ尤(もっと)も得難し」とある。大意は「汝窯は宮廷の磁器で、釉には瑪瑙の粉が含まれている。もっぱら宮廷用の磁器であり、宮廷用に選ばれなかったものだけが販売を許されたが、近年は入手が困難である」ということである。このことから、南宋時代にはすでに汝窯青磁器が稀少になっていたとみられる。北宋時代の文献で汝窯に言及しているのは、徐兢の『宣和奉使高麗図経』が唯一の例とされている。同書は、徐兢が1123年、宋の使節として高麗に滞在した時の見聞記である。ここで徐兢は高麗青磁について「汝州の新窯器に似た色だと高麗人は称している」と記録している。ただし、この「汝州の新窯器」が現在汝窯青磁と呼ばれている作品を指しているのかどうかは確証がない。現存する汝窯青磁の特色は、釉色は失透性の淡い藍色で、表面には細かい貫入が入る。器種は碗、盤、瓶などの一般的なものが大部分で、青銅器を模した器はない。装飾のある器はごく一部のみで、大部分は無文である。変わったものとしては、「水仙盆」と称する、脚付きの盆状の容器が台北と大阪に1点ずつある。「水仙盆」の名のとおり、球根植物の栽培に使用されたともいわれるが、正確な用途は未詳である。汝窯青磁器の釉は高台の内面にまでまんべんなく掛かる総釉で、土見せの部分がない。焼成時の溶着を防ぐためには細い支釘(ピン)が使用されたとみられ、高台内面にごく小さな目跡がみられる。汝窯の窯址は長年謎であったが、河南省平頂山市宝豊県清涼寺の窯址出土の陶片が伝世の汝窯青磁と一致することが、1987年、上海博物館により発表された。発掘に当たった河南省文物考古研究所の見解では、汝窯は官窯ではなく、貢窯であったという。貢窯とは、民間の窯に税として製品の貢納を命じたもので、官窯とは区別される。したがって、「汝官窯」という言い方は適切でない。北宋の官窯については、南宋の葉寘(ようし)の『坦斎筆衡』には「宣政の間、京師自ら窯を置きて焼造す。名づけて官窯と曰う」とある。大意は、「宣和・政和年間(1111 - 1125年)に都の卞京(べんけい)に官窯が置かれた」ということだが、この北宋官窯については、窯址・製品ともに不明である。
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