民族的背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 04:13 UTC 版)
「ボストンマラソン爆弾テロ事件」の記事における「民族的背景」の解説
容疑者のツァルナエフ兄弟はチェチェン人の血を引くキルギス出身のアメリカ人。二人の父はチェチェン人、母はアヴァール人、祖父母は世界大戦中にチェチェンを追われ、キルギスに強制移住させられた。チェチェン系であることから、イスラーム過激派の本事件への関与が一時疑われたが、FBIの捜査によればテロ組織との関連は見つからなかった。因みに、弟の名前はジョハルであるが、チェチェン独立派でチェチェン・イチケリア共和国初代大統領の名前と同じであり、独立派政権時の首都グロズヌイの公式市名はジョハル(Соьлжа-ГIала/Джохар-Гӏала/Dzhokhar-Ghala)であった。
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民族的背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/01/30 11:23 UTC 版)
現在の国家名であるマラウイ(Malawi )は、15世紀ごろにコンゴ民主共和国の南部から移住してきたバントゥー系民族のマラビ族(Maravi )に由来する。この民族はマラウイ湖の北側のエリアまでたどり着いたところで2つの集団に分離した。一方は、湖の西側を南へと進み、マラウイ湖の西側のエリアに暮らすチェワ族の先祖となった。残りのもう一方は、湖の東側を南へと進み、マラウイ湖の南側のエリアに暮らすニャンジャ族の先祖となった。1900年頃までは、移住や部族紛争といった諸条件からマラウイ人社会の結束形成は妨げられていた。その後、より近年になってくると民族や部族の差異は減少していくが、地域による差異や対立は現在でも残ったままである。しかし、いくつかの明確な差異があるにも拘らず、現在は重大な不和や対立関係が各部族間に存在しないことから、マラウイ人としての概念が定着しつつあると言える。また、田舎の農村の人々が大半を占めるマラウイ人は、概して保守的であるとともに伝統的に非暴力主義である。
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