殷墟の規模と発掘物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 19:56 UTC 版)
現在調査が進んだ殷墟の範囲は東西6km、南北4kmの地域で、面積24万平方メートルにわたる。洹水をはさんで北岸と南岸に分かれ、南岸に小屯村(および安陽市)などが位置し、北岸には武官村などが位置する。 小屯村一帯は22代王の武丁以降の甲骨や青銅器が集中して発掘された。小屯村北東部が宮殿などが位置する殷都の中心だったとも考えられ、周囲からは工房跡なども発掘されている。しかし都城(城壁)の痕跡が見つかっていないのが疑問とされる。 また小屯村北東部では、武丁の夫人であった婦好の墳墓が1976年にほぼ未盗掘の状態で発見され、墳墓からは6匹の犬のほか、少なくとも16人の殉死者が発掘され、他に副葬品として440以上の青銅器、約600もの玉石器、石彫類、骨角器、約7,000枚の当時の貝貨が出土している。 小屯村で出土した多数の甲骨(亀の腹甲や牛や鹿の肩甲骨など)には文字が刻まれ、合計で5,000字以上の文字が確認され、そのうち1,700字ほどが解読されている。またこの甲骨文字の研究により、殷王朝の存在が同時代資料を通じて確認されたほか、この文字が現在使用される漢字の祖形であることが確認されている。 武官村一帯には13基の大規模な墳墓が発見され、そのうち王墓の8基(武丁以降8代)は密集している。そのなかで遺物が発見されていない墳墓は、殷朝最後の王である紂王のものであり、殷朝滅亡により埋葬されなかった墳墓であると推測されている。 武官村の東の花園荘村では殷墟直前の殷中期の都城の遺跡が発見されている(洹北商城)。陽甲・盤庚・小辛が首都を置いた可能性もある。文字遺物は出土していない。
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