歴史資料としての民俗資料
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 14:32 UTC 版)
「歴史資料」の記事における「歴史資料としての民俗資料」の解説
和歌森太郎の『柳田国男と歴史学』によれば、民俗学の祖といわれた柳田國男の問題意識と関心は、実は、常に歴史学と歴史教育にあったことが記されている。本書では、柳田が長野県東筑摩郡教育会で「青年と学問」と題して講演した際に「自分たちの一団が今熱中している学問は、目的においては、多くの歴史家と同じ。ただ方法だけが少し新しいのである」と述べたことが紹介されている。そして、「日本はこういうフォークロアに相当する新しい方法としての歴史研究をなすには、たいへんに恵まれたところである」としている。たとえば、ヨーロッパでは千年以上のキリスト教文明と民族大移動、そしてまた近代以降の機械文明の進展のため、フォークロア(民間伝承、民俗資料)の多くが消滅ないし散逸してしまっているのに対し、日本ではそのようなことがなく、現実のいたるところに往古の痕跡がのこっているという。この「民俗資料」なることばを初めて用いたのが、柳田國男であった。 言い換えれば、日本にはフォークロアを歴史資料としてゆたかに活用できる土壌があるということであり、日本民俗学は、このような民間伝承の歴史研究上の有効性を前提として構築され、発展してきたと言える。 柳田はまた『郷土生活の研究法』のなかで「在来の史学の方針に則り、今ある文書の限りによって郷土の過去を知ろうとすれば、最も平和幸福の保持のために努力した町村のみは無歴史となり、我邦の農民史は一揆と災害との連鎖であった如き、印象を与へずんば止まぬこととなるであろう」と述べている。 ここでは、文献史学においては、典拠とする史料そのものに偏りが生まれるのは避けられないとしており、それゆえ、公文書などに示された一揆や災害とかかわる民衆の姿をそこで確認できたとしても、その生活文化総体は決してみえてこないという認識が示されている。「常民」の生活文化史の解明を目的とする民俗学にとっては、文献資料にのみ依拠することには限界と危険がともない、それゆえフィールドワークによる民俗資料の収集が重要だと論じている。
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