たけの‐じょうおう〔‐ゼウオウ〕【武野紹鴎】
武野紹鴎
武野紹鴎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/03 08:14 UTC 版)
武野 紹鷗(たけの じょうおう、文亀2年(1502年) - 弘治元年閏10月29日(1555年12月12日))は、戦国時代の堺の豪商(武具商あるいは皮革商)、茶人。正しくは紹鷗だが、一部の日本語環境では表示できないため、本項では「武野紹鴎」と表記する。
- ^ a b c d e f g h 図解 茶道具事典 275頁
- ^ a b c 桑田, p. 67
- ^ 高山秀夫『江戸から東京へ 物語でつづる部落の歴史』p.11(文理閣、1977年)
- ^ a b 神津朝夫『千利休の「わび」とはなにか』(角川ソフィア文庫、2015年), p. 33
- ^ a b c d e 桑田, p. 68
- ^ 神津朝夫『千利休の「わび」とはなにか』(角川ソフィア文庫、2015年), pp. 32-34
- ^ a b c 桑田, p. 70
- ^ a b 神津朝夫『千利休の「わび」とはなにか』(角川ソフィア文庫、2015年), pp. 34-35
- ^ 神津朝夫『千利休の「わび」とはなにか』(角川ソフィア文庫、2015年), pp. 35-36
- ^ 京都市中京区の四条室町上ルに大黒庵跡。隣に夷堂があったため恵比寿大黒に掛けて「大黒庵」と名付けられたという。夷堂には名水「菊水の井」があり、これがためにここに庵を結んだとも伝え、現地からは「菊水」と掘り込んだ石の井戸枠が発掘されている。なお、祇園祭「菊水鉾」はこの名水に因む。
- ^ 神津朝夫『千利休の「わび」とはなにか』(角川ソフィア文庫、2015年), pp. 36-37
- ^ 神津朝夫『千利休の「わび」とはなにか』(角川ソフィア文庫、2015年), pp. 38-39
- ^ 桑田, pp. 66–67.
- ^ 神津朝夫『千利休の「わび」とはなにか』(角川ソフィア文庫、2015年), pp. 220-222
- ^ 矢野環「珠光名物の成立過程」茶の湯文化学会東京例会配布資料(2001年11月17日)
- ^ 神津朝夫『千利休の「わび」とはなにか』(角川ソフィア文庫、2015年), p. 222
- ^ 桑田, pp. 69–70.
- ^ 桑田, pp. 70–71.
- ^ a b 桑田, p. 71
- ^ maki「もう一歩深く知るデザインのはなしー茶室x光」interior-joho.com (2012年8月12日)
- ^ 『利休の師 武野紹鴎』武野宗延、宮帯出版社、P127
- ^ 神津朝夫『千利休の「わび」とはなにか』(角川ソフィア文庫、2015年), pp. 39-60
- ^ a b c d 長江, p. 253
- ^ 桑田, p. 179.
- ^ a b c 桑田, p. 180
- ^ 桑田, pp. 179–180.
武野紹鴎
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「平グモちゃん-戦国下剋上物語-」の記事における「武野紹鴎」の解説
商業都市・堺の大商人。平グモちゃんと楽ちゃんの父親。無気力になっている久秀を心配し、楽ちゃんと見合いをさせる。豪快な性格。
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武野紹鴎(たけの じょうおう)
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「利休にたずねよ」の記事における「武野紹鴎(たけの じょうおう)」の解説
利休の侘び茶の師。上顧客からの注文で高麗の貴人の娘を仕入れ、千家に預けていた。
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