室内の芸道
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後柏原天皇の皇子であった尊鎮法親王は青蓮院門跡の門主を務め、能書家としても知られていたが、天文19年(1550年)に死去するまで、その周囲に連歌や茶・花・香にたずさわる人びと(文人三条西実隆、連歌師の宗長、茶の村田宗珠・武野紹鷗、華道の池坊専応・池坊専慶、香道の相阿弥・文阿弥)が寄り集まってサロンを形成し、「数寄の要」と称されるべき存在となった。尊鎮法親王はまた、歴代の青蓮院門主同様浄土真宗(本願寺教団)と朝廷のパイプ役を果たしており、このサロンが、当時の文芸や芸道にあたえた影響は大きかった。ここに、寄合の芸能として連歌・茶・花・香が共通の美意識のもと渾然一体の総合芸術となり、教養ある人びとにたしなまれて地方・庶民へと裾野を広げ、次世代へと引き継がれたのである。
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