武以外の関係者による評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 00:07 UTC 版)
「サイレンススズカ」の記事における「武以外の関係者による評価」の解説
サイレンススズカは武以外の競馬関係者からも高い評価を得ている。調教師の橋田は武と同様に前述のアンケートでいずれもサイレンススズカを挙げ、「斤量や、相手、展開などの条件にかかわらず負けないところが強かった」、「今までの競馬の常識を超える馬だった」 と評価している。宝塚記念で騎乗した南井克己は、サイレンススズカに初めて跨った宝塚記念前の最終追い切り後に、「この馬の能力は、(自身が主戦騎手を務めた)ナリタブライアンに匹敵する」とコメントした。サイレンススズカを生産した稲原牧場の牧場長稲原美彦はとあるインタビューで「またこの牧場からサイレンススズカのような馬を?」と聞かれた際に「あれほどのスピードを持った馬をもう一度生産するのは難しい」と答えている。前述の『ホースメンが選ぶ20世紀最強馬』では5票が集まり、橋田・武以外には吉田照哉、岡田繁幸、武幸四郎が投票した。 杉本清によると、1998年のジャパンカップ翌日に蛯名正義と京都駅で偶然会った際に「昨日はおめでとう」と声をかけて少し話をしたが、その際蛯名は「ウチの馬も強かったんですけど、すいません、もっと強い馬いますよ」と言われ、「どういうこと?」と聞くと蛯名は「サイレンススズカという馬は、本当に強い馬ですから」と言ったという。杉本はこの時について「毎日王冠でエルコンドルパサーは影さえ踏めなかったですから、ジャパンカップが終わった後なのに、まだ毎日王冠のことを言っていたので驚きでした」と回想しており、この時の蛯名の様子については「あの馬が生きていれば、今後もどれだけ強くなったかわからないのに、本当に惜しいことをした」とサイレンススズカの死を心から悼んでいる様子だったと振り返っている。翌1999年にエルコンドルパサーはフランス遠征を行い、サンクルー大賞優勝、凱旋門賞2着と顕著な成績を残すが、杉本はその遠征後にも「ああいう形で、海外のレースを走るサイレンススズカを見てみたかったなあと、つくづく思いました」と述べている。 他にも、柴田政人は「ファンを魅了する馬だった」、鈴木淑子は「強い逃げ馬がいたらこんなに競馬は面白い、ということを久々に見せてくれた馬だった」と評し、野平祐二は華奢な体型ながらも奇麗な線を持った馬で、「あれだけ軽快に、また非常にスマート、かつ鮮やかに走る馬は他にいないでしょう。鞍上ともマッチして、実に美しい走りをする馬です」、「あんなに美しい格好で突っ走っていって我慢しちゃう馬なんか、過去でもないですよ」と評し、またその存在価値についても、「『片足でも生かせるものなら生かしておきたい』と思う馬だった」と述べている。競馬評論家の井崎脩五郎は「この世で最も強い馬は、ハイペースで逃げ切ってしまう馬である」と述べ、日本ダービーを逃げ切った馬の中で最も前半1200mの通過タイムが速かったのはカブラヤオーの1分11秒8だったことを引き合いに出し、そのカブラヤオーがサラ平地の最多連勝記録「9」を記録していたことでサイレンススズカはカブラヤオーの連勝記録を20年ぶりに打ち破る可能性があった「久々に表れた、ケタ違いに強い馬だった」と述べ、第118回天皇賞での死を「競馬界の宝の損失」として惜しんだ。同じく競馬評論家の大川慶次郎は「私は相当競馬を見てきているが、こういうタイプの逃げ馬は全く見たことがない」とした上で「こんな馬はこれから出るんだろうか、と思うくらい」と述べている
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