機械式補聴器
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 05:59 UTC 版)
フレデリック・レイン製の精妙な集音椅子。19世紀の初めにポルトガル王ジョアン6世のために設計された。 フレデリック・レイン社のカタログ。19世紀のデザインの進化を示している。 初期の補聴器は外付けの耳介のようなもので、前方から来る音を耳孔に導き、それ以外の方向から来る音を遮断するだけの器具だった。大きな葉や貝のような自然の素材が用いられた歴史は古く、17世紀にはすでに耳に取り付ける金属製の補聴器が製造されていた。ホーン形の集音器を持つイヤートランペット(英語版)は17世紀に登場し、18世紀末には一般化した。イヤートランペットは多くの場合折り畳み式で、高価な工芸品であった。よく知られた当時のモデルには、タウンゼンド・トランペット(ろう教育者ジョン・ダウンゼンドによる)、レノルズ・トランペット(画家ジョシュア・レノルズのために作られた特製モデル)、ドーブニー・トランペットがある。イヤートランペットは共鳴を利用して一定の周波数範囲の音を増幅しており、利得は20デシベルから大型のもので40デシベル前後に達した。 イヤートランペットの商業生産はロンドンのフレデリック・レイン社によって1800年に始められた。同社はほかにも扇形や伝声管式の補聴器(ヒアリングファン、スピーキングチューブ)も扱っていた。これらはいずれも音を集めて聞き取り易くする機器で、持ち運びも可能だったが、概してかさばるため下から支える必要があった。後になると手持ち式の小型化されたイヤートランペットや円錐型の補聴器が使われるようになった。1800年代末になると、集音用の円錐と耳に差し込む部分をチューブでつないだ「アコースティック・ホーン」が作られた。 レインは1819年にポルトガル王ジョアン6世から集音機能がついた特製の椅子を製作するよう依頼された。注文に応じて作られた玉座は、口を開いた獅子を象った装飾的なひじ掛けを左右に備えていた。獅子の口が受音器にあたり、ここに入った音が伝声管を介して玉座の裏に送られ、王の耳に届く仕掛けだった。 19世紀の終わりにかけて、英国や米国では外から目立たないタイプの補聴器が広まり出した。レインは他社に先駆けて注目すべきデザインの多くを送り出した。「オーロリース・フォーン」と名付けられた同社の補聴器では、花や貝など様々な形の被り物に集音器が巧妙に仕込まれていた。家具、衣服、装身具の中に隠せる補聴器もあった。これらは聴覚障害の存在を隠すことを第一に考えたデザインであり、補聴器としての性能は高いものではなかった。 機械式の補聴器は江戸時代の日本にも伝えられた。1813年ごろ、蘭学者司馬江漢はオランダ人ボイスの科学事典を参考にイヤートランペットを制作し、眼鏡とかけて「耳鏡」と呼んだ。その用法は当時の広告文(引き札)に見ることができる。
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