橋本哲朗宅・木下元二議員包囲事件
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「元津事件」の記事における「橋本哲朗宅・木下元二議員包囲事件」の解説
さらに部落解放同盟員らは、1974年10月20日から朝来町の橋本宅の近所にテントを張り、「橋本哲朗糾弾闘争本部」の看板を掲げて「お前を殺して部落が解放されるんだ」などとマイクでアジテーションを行っていたが、10月22日になるとさらにエスカレートし、10月26日まで最盛時は連日500名~2000名で橋本宅を取り囲み、ハンドマイクや肉声で「橋本糾弾」「橋本出て来い」「お前は完全に包囲されている。今すぐ出てきなさい。わしらを怒らせたら怖いぞ」「子供が可愛くないのか」「最後の最後まで闘うぞ」「橋本よ、差別者よ、おまえのようなやつは今度生まれるときは犬に生まれ、犬でも赤犬ではなくせめて白犬に生まれ」「きさまはいいけれども、きさまの子供はこの先どのようにして生きるか。犬畜生。学校に行って子供はどのように言われているか、知っているか」などと怒号し、ほぼ昼夜を分かたず、アジ演説、シュプレヒコール、解放歌の合唱などを繰り返し、罵声を浴びせ、橋本宅に夜通し照明灯を照射し、焚き火を燃やし、橋本を延べ5日間、90時間以上にわたり不法に監禁した。このとき、部落解放同盟と共闘関係にある自治労や兵教組、県の出先機関、婦人会、社会党県議、校長に引率された解放研の中学生らも橋本一家への嫌がらせに加勢し、「橋本、クソアホー」などとマイクで罵っている。このほか、橋本宅に浴びせられた言葉には以下のものがある。 「橋本! もう首吊ってもええのに」「首吊ってなかったら人間じゃないわな! 吊れ! 吊れ! ばばあも皆吊れ! 行って吊ったろか、早う吊らな」 「ロープもええのあるぞ! ロープも手頃ながあるぞ! こら! すぐ出てこい!」 「橋本、近所迷惑考えたことがあるかァ、近所迷惑考えるのが人間だァ、おまえは犬だから考えられぬのだろう、赤犬でてこーい」 「哲朗、おまえはいつまでそうしているのだァ、我々はいつまでも闘うぞォ、お前の子供、孫、ひ孫まで闘うぞォ」 「わしらは警察こわいことも何ともないしな」 「コラッ、ハゲ、人殺し、ぬすびと、出てこい」 「橋本、ここまで言われてもまだ……ワイは、犬畜生にも劣る男だァ」 橋本の89歳の老母に対しては、次の言葉が浴びせられた。 「ババァくたばれ、葬式もできんぞ、庭に穴ほって自分で死んでしまえ、葬式自分でせえ」「ババァ、聞いてるか、コラッ」 「ええ男をもろてよかったな、世界一のりっぱな男をもろて心からおめでとうと言いたいわい」 「ババァ出てこい、ババァだけでもはなしたるから出てこい」 また、10月22日、橋本宅を訪れた木下元二(衆院議員、日本共産党)たちが自動車で退出しようとしたのを認めるや、部落解放同盟員らがこの自動車後方の溝蓋の上に寝転び「お前たちが車をバックさせたら殺人者として法廷に出んならんことは明らかだ。お前たちの車がちょっとでも動いてみろ、殺人者だ」などと怒号し、この自動車の発進を不可能ならしめ、木下らを橋本宅に引きこもることを余儀なくさせた上、橋本宅を多数の部落解放同盟員で取り囲み、マイクで「差別者集団日本共産党宮本一派よ、お前たちは階級の裏切り者、階級の敵である」などと怒号し、「日本共産党糾弾」「部落解放同盟は闘うぞ」「最後の最後まで闘うぞ」などとシュプレヒコールを繰り返し、約4時間30分にわたり同人たちを不法に監禁した。監禁中、橋本一家は朝から戸や窓を閉め切り、カーテンを引き、夜も電灯を消して屋内を暗くする生活を余儀なくされ、家族全員が不眠症となり、事件後もPTSDで心身の健康を害したと認定された。この事件は第二次朝来事件とも呼ばれる。
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