橋本和夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/27 13:46 UTC 版)
Kazuo HASHIMOTO | |
---|---|
基本情報 | |
名前 | 橋本 和夫 |
生年月日 | 1947年4月3日(78歳) |
身長 | 174 cm (5 ft 9 in) |
体重 | 77 kg (170 lb) |
国籍 | ![]() |
出身地 | 茨城県 |
経歴 |
橋本 和夫(はしもと かずお、1947年4月3日 - )は、茨城県出身のプロゴルファー。
来歴
1976年の阿蘇ナショナルパークオープンでは初日に藤井義将・上原忠明・金海繁・土山録志・岩下吉久・新井規矩雄を抑え、能田征二と並んで鈴木規夫の2位タイ[2]でスタートした。
1976年の関東プロでは2日目に尾崎将司・新井・鷹巣南雄・川田時志春と並んでの10位タイ[3]、3日目には山田健一・草壁政治と並んでの7位タイ[4]に着けた。
1979年の三菱ギャラントーナメントでは初日3位で迎えた2日目に通算4アンダー140、前日首位の宮本康弘に1打差付けて首位[5]に立ったが、3日目には78を叩いて佐藤正一・謝敏男(中華民国)・吉川一雄と並んでの9位タイ[6]に落ちた。
1980年のサントリーオープンでは初日に68をマークし、河野高明・島田幸作・鷹巣・草野忠重、ビル・ロジャース(アメリカ)と並んでの2位タイでスタートした[7]。
1985年の茨城オープンでは初日に67をマークし、中川泰一・安達典夫・岩下を抑えて首位に立つ[8]。
1986年の水戸グリーンオープンで友利勝良・寺田寿に次ぐと同時に白石達哉・伊藤正己と並んでの3位タイ[9]に入り、1989年の関東オープン[10]を最後にレギュラーツアーから引退。
脚注
- ^ “橋本 和夫 ハシモト カズオ KAZUO HASHIMOTO”. www.smile-pga.jp. 2024年6月19日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p939 昭和51年9月29日朝刊17面
- ^ 朝日新聞縮刷版p193 昭和51年8月7日朝刊15面「村上隆首位を守る 関東プロゴルフ第二日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p220 昭和51年8月8日朝刊14面「村上、首位を堅持 関東プロゴルフ第三日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p62 昭和54年6月2日朝刊18面「橋本、4アンダーで首位 三菱ギャラン・ゴルフ第2日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p94 昭和54年6月3日朝刊16面「宮本、首位を奪い返す 三菱ギャランゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p168 昭和55年9月5日朝刊16面「前田6アンダー首位 サントリーゴルフ」
- ^ 毎日新聞縮刷版p364 昭和60年7月11日朝刊18面
- ^ “【公式】水戸グリーンカントリークラブ”. www.mgcc.jp. 2024年6月19日閲覧。
- ^ “橋本 和夫選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年6月19日閲覧。
外部リンク
橋本和夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 16:02 UTC 版)
モトヤから写研に移り、長年原字制作の責任者を務める。「本蘭明朝」「紅蘭細楷書」の仮名。定年後、イワタ顧問。
※この「橋本和夫」の解説は、「書体デザイナー」の解説の一部です。
「橋本和夫」を含む「書体デザイナー」の記事については、「書体デザイナー」の概要を参照ください。
- 橋本和夫のページへのリンク