土山録志
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/12 19:42 UTC 版)
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基本情報 | ||||
生誕 | 1948年8月12日(76歳) | |||
身長 | 165 cm (5 ft 5 in) | |||
体重 | 68 kg (150 lb) | |||
国籍 | ![]() |
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出身地 | 静岡県 |
土山 録志(つちやま としゆき、1948年8月12日 - )は静岡県出身のプロゴルファー。
来歴
伊東商業高校[1]時代は1年先輩に中村稔[2]、後輩には岩下吉久[3]・坂下定夫[4]がおり、1966年の全国高校ゴルフ選手権では個人戦で4位タイに入る[5]。
卒業後の1967年に府中カントリークラブへ入社し、1970年にプロ入り[1]すると、1971年からは八王子グリーンクラブに移籍[6]。
1975年の全日空札幌オープンでは3日目に67をマークして5位[7]に浮上し、最終日には松井功・青木功・金本章生・内田袈裟彦に並ばれるも5位タイ[8]に留まった。
1976年のペプシウィルソントーナメントでは初日を小林富士夫・金井清一・山本善隆・森憲二・石井冨士夫、ブライアン・ジョーンズ( オーストラリア)と並んでの5位タイ[9]でスタートし、2日目には謝敏男(
中華民国)、ピーター・トムソン(オーストラリア)、尾崎将司・金井・ジョーンズ・中村・橘田規と並んでの6位タイ[10]とし、豪雨による54ホール短縮競技の最終日[11]にはベン・アルダ(
フィリピン)、森と並んでの5位タイ[12]に入った。
1976年のサントリーオープンでは3日目に呂良煥(中華民国)と共に67をマークし、最終的には安田春雄・川田時志春・アルダと並んでの10位タイに入った[13]。
1977年には長野県オープンで森・浅井教司・アルダに次ぐと同時に新井規矩雄・菊地勝司・榎本七郎と並んでの4位タイ[14]、美津濃トーナメントでは草壁政治・内田繁・戸田雅吉・吉川一雄に次ぐ5位[15]に入った。
1978年のペプシウィルソントーナメントでは3日目に7番でホールインワンを記録して[16]68、最終日には2日連続60台の69をマークし、川田・前田新作・金井・山本謙太郎・中村・矢部昭・横島由一と並んでの9位タイに入った[17]。
1978年の日本国土計画サマーズでは山本・謝敏・中村通・宮本康弘・長谷川勝治に次ぐと同時に新井・高橋信雄と並んでの6位タイ[18] [19]、1980年の群馬県オープンでは高橋五月を抑えると同時に矢部昭と並んで新井の2位タイ[20]に入った。
1982年の東北クラシックでは初日を牧野裕・中嶋常幸・鈴村照男・新井・中尾豊健・尾崎直道・小林と並んでの3位タイ[21]でスタートし、2日目には4バーディー、1ボギーの69でグラハム・マーシュ(オーストラリア)、鈴木規夫と並んでの首位タイ[22]に躍り出たが、最終日には中嶋・藤木三郎・マーシュと並んで前田の2位タイ[23] [24]に終わった。
同年の群馬県オープンでは初日を小林と2打差2位[25]でスタートし、2日目に長谷川・鈴木弘一と並んでの5位タイ[26]に着けた。
1984年の群馬オープンでは新井・大町昭義に次ぐと同時に泉川ピート・川田・岩下・中村・森と並んでの4位タイ[27]、1985年のマルマン日本海オープンでは倉本昌弘・吉川一雄と並んでの10位タイ[28]、1987年の水戸グリーンオープンでは真板潔・渡辺三男・安達典夫と共に合田洋の2位タイ[29]に入った。
1990年のインペリアルトーナメント[30]を最後にレギュラーツアーから引退し、1991年からは日本プロゴルフ協会代議員となり、トーナメントディレクター(1994年 - 1999年)、理事(1997年)も務めた[6]。
2005年からはチャーミングリゾート都ゴルフ倶楽部に顧問・専属プロとして契約し[6]、2008年のPGA HANDA CUPフィランスロピーシニア[1]を最後にシニアツアーから引退。
2008年からは古巣の府中CC所属[31]となり、PGA多摩プロゴルフ会顧問[32]も務める。
脚注
- ^ a b c “土山 録志 - PGA会員詳細 - 公益社団法人 日本プロゴルフ協会”. www.smile-pga.jp. 2023年9月7日閲覧。
- ^ “PGA会員詳細 - 公益社団法人 日本プロゴルフ協会”. www.pga.or.jp. 2023年9月9日閲覧。
- ^ “岩下 吉久 イワシタ ヨシヒサ YOSHIHISA IWASHITA”. www.pga.or.jp. 2023年9月9日閲覧。
- ^ “2003年シニア選手紹介”. 2003年10月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月2日閲覧。
- ^ “Untitled”. nihon-kougoren.jp. 2024年2月17日閲覧。
- ^ a b c “施設利用案内|府中カントリークラブ”. 2011年11月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月11日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p189 昭和50年7月6日朝刊15面「謝永浮上、村上2位に 尾崎も急追、逆転に望み 全日空オープン・ゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p216 昭和50年7月7日朝刊18面「謝永逃げ切り優勝 村上2位 尾崎はボギー連発、沈む 全日空オープン・ゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p622 昭和51年5月21日朝刊16面「宮本省リード 尾崎ら二位三人 ペプシ・ゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p695 昭和51年5月23日朝刊15面「宮本省首位守る ペプシ・ゴルフ」
- ^ 武藤一彦 (2021年9月28日). “ツアー最長プレーオフ 14ホールの死闘/残したいゴルフ記録”. ゴルフダイジェスト・オンライン. 2023年6月18日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p723 昭和51年5月24日朝刊19面「死闘!プレーオフ14ホール トムソンが優勝 ペプシ・ゴルフ」
- ^ 菊谷匡祐『ゴルフを愛した男たち―サントリーオープン物語』阪急コミュニケーションズ、2000年8月1日、ISBN 4484002000、p67。
- ^ 朝日新聞縮刷版p262 昭和52年7月8日朝刊16面「森、逃げきり優勝 長野県オープンゴルフ」
- ^ “第7回 1977年(昭和52年)|ゴルフ|ミズノ公式オンライン”. mizuno.com. 2023年9月7日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p683 昭和53年5月21日朝刊19面「島田を尾崎急追 ペプシゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p715 昭和53年5月22日朝刊19面「尾崎が今季初優勝 ペプシ・ゴルフ 13アンダー、逆転」
- ^ 朝日新聞縮刷版p450 昭和53年8月15日朝刊14面
- ^ 毎日新聞縮刷版p368 昭和53年8月14日朝刊12面「山本善が大逆転 今季初勝利 独走・高橋は自滅、6位 国土計画サマーズゴルフ最終日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p543 昭和55年7月14日朝刊19面
- ^ 朝日新聞縮刷版p167 昭和57年6月5日朝刊17面「村上と藤木が首位 東北クラシックゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p203 昭和57年6月6日朝刊17面「マーシュら3人首位 東北クラシックゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p237 昭和57年6月7日朝刊19面「前田、10人抜きで優勝 東北クラシックゴルフ」
- ^ “Maeda takes Tohoku golf”. The Vancouver Sun. AP (Vancouver, British Columbia, Canada): p. C5. (1982年6月7日) 2021年1月28日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p643 昭和57年7月17日朝刊17面
- ^ 朝日新聞縮刷版p680 昭和57年7月18日朝刊16面
- ^ 朝日新聞縮刷版p340 昭和59年7月9日朝刊18面
- ^ “フルリーダーボード マルマン日本海オープン 1985 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2023年9月12日閲覧。
- ^ “【公式】水戸グリーンカントリークラブ”. www.mgcc.jp. 2023年9月7日閲覧。
- ^ “土山 録志選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2023年9月7日閲覧。
- ^ “府中CCの歴史”. www.fuchucc.com. 2024年12月2日閲覧。
- ^ “多摩プロゴルフ会”. www.pga.or.jp. 2023年9月7日閲覧。
外部リンク
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