榎本七郎とは? わかりやすく解説

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榎本七郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/12 21:27 UTC 版)

榎本 七郎
Shichiro ENOMOTO
基本情報
生誕 (1942-11-11) 1942年11月11日(82歳)
身長 177 cm (5 ft 10 in)
体重 88 kg (194 lb)
国籍 日本
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榎本 七郎(えのもと しちろう、1942年11月11日 - )は日本の元プロゴルファー

来歴

中村寅吉がヘッドプロを務める砧ゴルフ場に研修生として入り、安田春雄[1]樋口久子[2]鎌田富雄[3]と共に中村の弟子となる。榎本は、早く上手くなってほしいという気持ちが強い中村から、怒られながら、厳しく指導を受けた[4]

砧の閉鎖後は、1969年神奈川県伊勢原市の「伊勢原ゴルフセンター」の開業に携わり、運営会社の役員らと一緒に試打を重ね、陽の光を考慮して練習場の向きなどを考えた[4]

1971年の第1回美津濃トーナメント前田新作草壁政治野口英雄を抑えて2位に入り[5]1973年の第3回は初日と2日目に69をマークし金本章生石井富男を抑えて優勝し[6]、連覇を目指した1974年の第4回は内田繁に次ぐと同時に野口・鈴木規夫・草壁・松井功を抑えての2位であった[7]

1975年、初めて海外で開催された日本のトーナメント「クイリマ&タカヤマ・クラシック」[8]に出場し、初日を5アンダー67の好スコアにまとめ、石井裕士と並んでの首位タイ[9]でスタート。

1976年日本プロでは初日を村上隆大場勲新井規矩雄金本章生村上渉陳健振 中華民国)・原克己大嶋正春寺本一郎吉武恵治宮本省三菊地勝司渡辺由己と共に2アンダー68の8位タイ[10]でスタートし、2日目には菊地と共に69をマークして謝敏男(中華民国)・草壁・安田・中村通と並んでの8位タイ[11]に着けた。3日目に金井清一能田征二と並んで首位に立ち、最終日には一時10アンダーにまで到達し、優勝に最も近い存在になっていたが後半崩れて謝敏と同じく通算7アンダーとした[12]。その後は金井が17、18番で連続バーディーを奪って勝利への執念を見せたことで、勝負は大会史上最多4人のプレーオフへと持ち越される[12]。1ホール目は16番パー3で安田と謝がボギーを叩いて脱落し、榎本は金井と共にパーをセーブして2ホール目へと向かった[12]。2ホール目の17番、3ホール目の18番は共にパーと互いに譲らないまま、再び16番へと戻る[12]。榎本はは乾き切って見えるほど緊張し、4アイアンで打ってグリーンを外し右のバンカーに入る[12]。バンカーショットはピンを2.5mオーバーし、パーパットは外れたが、草壁・中嶋常幸・能田・宮本康弘島田幸作・村上隆を抑えての2位と健闘[12]

1977年長野県オープンでは初日を中嶋と共に首位タイの森憲二・内田と1打差の3位[13]でスタートし、最終日には森・浅井教司ベン・アルダ フィリピン)に次ぐと同時に土山録志・新井・菊地と並んでの4位タイに入った[14]

1977年の三菱ギャランでは最終日に67をマークして金井・島田・川田時志春・安田と並んでの6位タイ[15]に入り、1978年全日空札幌オープンでは初日を上野忠美と共に3アンダー69の6位タイでスタートした[16]

1979年の山梨プロアマ[17]では初日を金井・今井昌雪大森信佳須貝昇と並んで新井の2位タイ[18]でスタートし、最終日には鷹巣南雄江原利次・金井を抑えると同時に大森とのプレーオフを制して優勝[19]

1979年の第1回かながわオープンでは岩下吉久・金井と並んでの3位タイ[20]でスタートし、最終日には金井・吉武と並んでの5位タイ[21]に入った。

1979年の長野県オープンでは最終日に68をマークし、市川良翁・新井・川田と並んでの2位タイに入った[22]

1981年の第1回KSB香川オープンでは内田・宮本省・藤木三郎高橋五月高橋純一と並んでの5位タイ[23]に入り、1983年武富士サイパンでは初日を金井・青木基正杉田勇佐野修一と並んでの3位タイ[24]でスタートする。

1984年のKSB瀬戸内海オープンでは初日を70で首位タイの佐野・藤木と1打差の2位タイ[25]でスタートし、最終日には69をマークするも佐野に1打及ばず2位[26] [27]に終わり、1985年ブリヂストンオープンを最後にレギュラーツアーから引退[28]

シニア転向後の1992年には関東プロシニアで人見俊広と並んでの10位タイ[29]、第一生命カップシニアでは内田袈裟彦・金井と並んでの8位タイ[30]、スポーツ振興カップで野辺地純ビル・ダンク オーストラリア)と並んでの10位タイ[31]、名古屋テレビカップでは鈴村久豊田明夫と並んでの10位タイ[32]に入った。

1993年にはアイスターカップで郭吉雄(中華民国)と並んでの2位タイ[33]に入った。

1997年日本プロシニアでは初日に首位タイの中山徹・鈴村に1打差3位タイ[34]でスタートし、2日目には4アンダーで単独首位に浮上[35]するが、3日目には3位に後退[36]、最終的には9位[37]に終わった。

主な優勝

  • 1971年 - 美津濃トーナメント
  • 1979年 - 山梨プロアマ

脚注

  1. ^ 「年々派手になっています」、86歳“オシャレ”エージシューター”. gooday.nikkei.co.jp. 2023年7月23日閲覧。
  2. ^ 伊勢原GCの歩み – 伊勢原ゴルフセンター”. isehara-golfcenter.com. 2023年7月23日閲覧。
  3. ^ 【日本男子の海外挑戦記・昭和編㉓】1969年極東サーキットを日本選手が席巻、全7戦5勝”. m.facebook.com. 2023年7月23日閲覧。
  4. ^ a b 伊勢原ゴルフセンター開業50周年の節目「トラさん」がプロ育成”. www.townnews.co.jp. 2023年7月23日閲覧。
  5. ^ 第1回 1971年(昭和46年)|ゴルフ|ミズノ公式オンライン”. mizuno.com. 2023年7月23日閲覧。
  6. ^ 第3回 1973年(昭和48年)|ゴルフ|ミズノ公式オンライン”. mizuno.com. 2023年7月23日閲覧。
  7. ^ 第4回 1974年(昭和49年)|ゴルフ|ミズノ公式オンライン”. mizuno.com. 2023年7月23日閲覧。
  8. ^ 佐藤朗「着陸の日まで ―尾崎将司とその時代」幻冬舎2019年7月25日ISBN 4344923766、p138。
  9. ^ 朝日新聞縮刷版p679 昭和50年1月25日朝刊15面「単複とも日本勢首位 クイリマ・ゴルフ第1日
  10. ^ 朝日新聞縮刷版p783 昭和51年9月24日夕刊9面「宮本康・金井がリード 日本プロゴルフ 尾崎、三位につける
  11. ^ 朝日新聞縮刷版p802 昭和51年9月25日朝刊16面「宮本がっちり首位 続く金井 尾崎後退 中島が六位に急伸 日本プロゴルフ第二日
  12. ^ a b c d e f 第44回日本プロゴルフ選手権(1976年)”. www.golfdendou.jp. 2023年7月23日閲覧。
  13. ^ 朝日新聞縮刷版p227 昭和52年7月7日朝刊17面「森・内田がトップ 長野県オープン
  14. ^ 朝日新聞縮刷版p262 昭和52年7月8日朝刊16面「森、逃げきり優勝 長野県オープンゴルフ
  15. ^ 朝日新聞縮刷版p178 昭和52年6月6日朝刊18面「許、日本で初勝利 ギャランゴルフ
  16. ^ 毎日新聞縮刷版p939 昭和53年6月30日朝刊19面
  17. ^ 榎本 七郎 エノモト シチロウ SHICHIRO ENOMOTO”. www.smile-pga.jp. 2024年5月29日閲覧。
  18. ^ 朝日新聞縮刷版p420 昭和54年4月12日朝刊18面
  19. ^ 朝日新聞縮刷版p462 昭和54年4月13日朝刊18面
  20. ^ 毎日新聞縮刷版p46 昭和54年5月2日朝刊14面「左打ちアマ大健闘
  21. ^ 毎日新聞縮刷版p85 昭和54年5月3日朝刊15面「森が逆転優勝 アマ羽川二位 かながわオープン
  22. ^ 毎日新聞縮刷版p143 昭和54年7月5日朝刊19面
  23. ^ 朝日新聞昭和56年3月30日朝刊19面
  24. ^ 毎日新聞縮刷版p442 昭和58年3月13日朝刊18面「内田繁、首位に立つ サイパン・ゴルフ第1日
  25. ^ 朝日新聞縮刷版p961 昭和59年3月25日朝刊17面
  26. ^ 朝日新聞縮刷版p994 昭和59年3月26日朝刊18面
  27. ^ McCormack, Mark H. (1985). Ebel World of Professional Golf 1985. Springwood Books. pp. 223, 443–444. ISBN 0862541247 
  28. ^ 榎本 七郎選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2023年7月23日閲覧。
  29. ^ 各日最終成績 92スプリングス杯 関東プロゴルフシニア選手権大会”. pga.or.jp. 2024年4月5日閲覧。
  30. ^ 各日最終成績 第11回第一生命カップシニアトーナメント”. pga.or.jp. 2024年4月5日閲覧。
  31. ^ 各日最終成績 92スポーツ振興カップ”. pga.or.jp. 2024年4月5日閲覧。
  32. ^ 各日最終成績 名古屋テレビカップ'92”. pga.or.jp. 2024年4月5日閲覧。
  33. ^ 各日最終成績 アイスターカップ'93”. pga.or.jp. 2024年4月5日閲覧。
  34. ^ 日本プロシニア、中山と鈴村、首位に並ぶ。1997年10月10日 日本経済新聞 朝刊”. www.nikkei.com. 2024年1月8日閲覧。
  35. ^ 日本プロシニア、榎本4アンダー単独トップ浮上。1997年10月11日 日本経済新聞 朝刊”. www.nikkei.com. 2024年1月8日閲覧。
  36. ^ 日本プロシニア、中山が単独首位、榎本3位に後退。1997年10月12日 日本経済新聞 朝刊”. www.nikkei.com. 2024年1月8日閲覧。
  37. ^ 各日最終成績 97日本プロゴルフシニア選手権大会”. pga.or.jp. 2024年1月8日閲覧。

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