大嶋正春
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/19 21:47 UTC 版)
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基本情報 | ||||
生誕 | 1944年8月5日(80歳) | |||
国籍 | ![]() |
大嶋 正春(おおしま まさはる、1944年8月5日 - )は、日本のプロゴルファー。
来歴
1973年には日本オープンで安田春雄・新井規矩雄と並んでの7位タイ[1]、グランドモナークで山本善隆・鷹巣南雄・謝永郁(中華民国)・小池国夫・石井裕士と並んでの6位タイ[2]に入った。
1973年のブリヂストントーナメントでは2日目には鈴木規夫と共に69をマークし、前田新作・熊部稔と並んでの7位タイに着けた[3]。
1974年の札幌とうきゅうオープンでは初日を上野忠美、アマチュアの藤木三郎と共に69をマークして3位タイでスタートし[4]、2日目には宮本省三・森憲二、グラハム・マーシュ(オーストラリア)と並んでの10位タイに後退した[5]。
1974年の関西オープンでは2日目に島田幸作と並んでの5位タイ[6]に着け、最終日には橘田光弘と並んでの5位タイ[7]に入った。
1976年の日本プロでは初日を村上隆・大場勲・新井・金本章生・村上渉・陳健振(中華民国)・原克己・寺本一郎・吉武恵治・宮本省・榎本七郎・菊地勝司・渡辺由己と共に2アンダー68の8位タイ[8]でスタートし、1991年の関西オープン[9]を最後にレギュラーツアーから引退。
脚注
- ^ “第38回日本オープンゴルフ選手権(1973年)”. www.golfdendou.jp. 2024年10月27日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p685 昭和48年11月19日朝刊19面「韓長相、1打差で逃げ切る グランドモナーク」
- ^ 朝日新聞縮刷版p99 昭和48年11月3日朝刊19面「新井、単独トップ BSゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p429 昭和49年6月14日朝刊15面「宮本康・謝敏首位に並ぶ 3位には日大生の藤木 札幌とうきゅうオープン」
- ^ 朝日新聞縮刷版p461 昭和49年6月15日朝刊15面「中村通、首位を奪う 札幌とうきゅうオープン」
- ^ 朝日新聞縮刷版p335 昭和49年7月11日朝刊15面
- ^ 朝日新聞縮刷版p379 昭和49年7月12日朝刊15面「杉原2連勝 関西オープンゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p783 昭和51年9月24日夕刊9面「宮本康・金井がリード 日本プロゴルフ 尾崎、三位につける」
- ^ “大嶋 正春選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年10月27日閲覧。
外部リンク
- 大嶋正春のページへのリンク