吉川稲利とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 吉川稲利の意味・解説 

吉川稲利

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/16 02:53 UTC 版)

吉川 稲利
Inatoshi YOSHIKAWA
基本情報
名前 吉川 稲利
生年月日 (1943-01-16) 1943年1月16日(82歳)
国籍 日本
出身地 千葉県
テンプレートを表示

吉川 稲利(よしかわ いなとし、1943年1月16日 - )は、千葉県出身のプロゴルファー

来歴

1965年にプロ入り[1]

1976年関東プロでは2日目に67をマークして青木功榎本七郎と並んでの5位タイ[2]、3日目には山田健一橋本和夫草壁政治と並んでの7位タイ[3]に着けた。

1979年千葉県オープンでは初日を長谷川勝治小川清二・草壁に次ぐと同時に中東義昭窪田茂日吉定雄と並んでの4位タイ[4]1981年札幌とうきゅうオープンでは初日に小雨混じりの中を田中文雄・草壁・呂良煥&陳志忠中華民国)・尾崎直道ブライアン・ジョーンズオーストラリア)、鈴木規夫と並んでの9位タイでスタートする[5]

1987年全日空オープン[6]を最後にレギュラーツアーから引退。

シニア転向後の1993年にはマルマンシニア7位タイ[7]、ミズノシニアクラシックでは内田繁と並んでの7位タイ[8]に入った。

脚注

  1. ^ 吉川 稲利 ヨシカワ イナトシ INATOSHI YOSHIKAWA”. www.smile-pga.jp. 2025年5月16日閲覧。
  2. ^ 朝日新聞縮刷版p193 昭和51年8月7日朝刊15面「村上隆首位を守る 関東プロゴルフ第二日
  3. ^ 朝日新聞縮刷版p220 昭和51年8月8日朝刊14面「村上、首位を堅持 関東プロゴルフ第三日
  4. ^ 毎日新聞縮刷版p620 昭和54年7月20日朝刊18面
  5. ^ 朝日新聞縮刷版p431 昭和56年6月12日朝刊17面「ゲールが6アンダー 札幌とうきゅうゴルフ
  6. ^ 吉川 稲利選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site of JAPAN GOLF TOUR”. www.jgto.org. 2025年5月16日閲覧。
  7. ^ 各日最終成績 93マルマンシニアゴルフトーナメント”. pga.or.jp. 2025年5月16日閲覧。
  8. ^ 各日最終成績 第4回ミズノシニアクラシックゴルフトーナメント”. pga.or.jp. 2025年5月16日閲覧。

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  吉川稲利のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「吉川稲利」の関連用語

1
中東義昭 百科事典
36% |||||

2
12% |||||

吉川稲利のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



吉川稲利のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの吉川稲利 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS