野辺地純とは? わかりやすく解説

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野辺地純

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/13 22:11 UTC 版)

 野辺地 純 
Jun NOBECHI
基本情報
名前 野辺地 純
生年月日 (1940-02-08) 1940年2月8日(84歳)
身長 173 cm (5 ft 8 in)
体重 60 kg (132 lb)
国籍 日本
出身地 北海道
経歴
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野辺地 純(のべち じゅん、1940年2月8日 - )は北海道出身のプロゴルファー

弟・野辺地鼎もプロゴルファー[1]

来歴

小樽カントリー倶楽部所属時代には弟・鼎をプロゴルファーに誘い、大学卒業後に銀行に就職が決まっていた鼎は小樽CCの研修生となる[1]

1967年には第1回北海道オープンを制し、1970年には同大会2勝目を挙げる。鼎も1971年1975年に制して兄弟で4勝をマークし、1978年には兄弟揃って上原宏一の4位タイに入った[2]

1971年の全日本プロダブルスでは安田春雄とペアを組み、内田繁石井裕士ペアとのプレーオフの末に2位と健闘[3]

1975年には第1回札幌オープンを制し、1976年の第2回では鼎が制して兄弟制覇、純は1984年にも制し、同大会も兄弟で4勝した[4]

1975年の札幌とうきゅうオープンでは初日を中村通青木功謝敏男中華民国)・石井冨士夫杉原輝雄松田司郎ビル・ダンクオーストラリア)、沼澤聖一宮本省三と並んでの7位タイ[5]でスタートし、3日目には杉本英世・宮本・沼澤・前田新作・中村・鷹巣南雄今井昌雪森憲二と並んでの9位タイ[6]とし、最終日には陳健忠(中華民国)・井上幸一村上隆・青木と並んでの4位タイ[7]に浮上。

1989年全日空オープン[8]を最後にレギュラーツアーから引退し、シニア転向後の1992年にはミズノシニアクラシックで内田・戸川一郎豊田明夫と並んでの9位タイ[9]、スポーツ振興カップで榎本七郎・ダンクと並んでの10位タイ[10]に入った。

主な優勝

  • 1967年 - 北海道オープン
  • 1970年 - 北海道オープン
  • 1975年 - 札幌オープン
  • 1984年 - 札幌オープン

脚注

  1. ^ a b PGAリポート89
  2. ^ 朝日新聞縮刷版p881 昭和53年8月28日朝刊19面
  3. ^ 男子トーナメント年度別一覧表 - 日本プロゴルフ殿堂
  4. ^ 歴代優勝者(2019年-1975年) - SAPPORO OPEN GOLF official website
  5. ^ 朝日新聞縮刷版p392 昭和50年6月13日朝刊16面「陳健忠トップ 2位に石井、森ら4人 とうきゅうオープン・ゴルフ
  6. ^ 朝日新聞縮刷版p459 昭和50年6月15日朝刊15面「村上が首位奪う 5打内にひしめく17人 とうきゅうオープン
  7. ^ 朝日新聞縮刷版p486 昭和50年6月16日朝刊18面「最終パットで優勝決めた マーシュ競り勝つ 宮本・謝永の猛追かわす とうきゅうオープン・ゴルフ
  8. ^ 野辺地 純選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
  9. ^ 各日最終成績 第3回ミズノシニアクラシックゴルフトーナメント
  10. ^ 各日最終成績 92スポーツ振興カップ

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