江原利次
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/11 23:52 UTC 版)
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基本情報 | ||||
名前 | 江原 利次 | |||
生年月日 | 1947年7月12日(77歳) | |||
国籍 | ![]() |
江原 利次(えはら としつぐ、1947年7月12日 - )は、日本のプロゴルファー。
来歴
1974年にレフティとしてプロ入りし[1]、1976年のアジアサーキット・香港オープンでは初日に4位グループに着けた[2]。
1976年のシンガポールオープンでは内田袈裟彦が優勝し、野口英雄が6位、新井規矩雄が9位に入り、江原は11位で惜しくも十傑入りは逃した[3] [4]。
1978年の関東オープンでは初日、ラフが深いゆえにグリーンの難しさもあって上原宏一・浅井教司・謝敏男( 中華民国)・川田時志春・関水利晃・草壁政治・海老原清治・日吉稔・森憲二・高井吉春・鳥沢利一・石井冨士夫と並んでの10位タイ[5]でスタートしたが、2日目には猛暑とラウンド時間が6時間というスローペースに苦しめられながら69をマークし、日吉と並んでの2位タイに浮上[6]。
1979年の山梨プロアマでは榎本七郎・大森信佳・鷹巣南雄に次ぐ4位[7]、1984年の埼玉オープンでは小川清二・金谷多一郎・美浦修・新井に次ぐと同時に川俣茂・須貝昇と並んでの6位タイ[8]に入り、1985年のマルマン日本海オープン[9]を最後にレギュラーツアーから引退。
脚注
- ^ ジェームス・ブリス、ジョセフ・モレラ、草壁焔太訳『左利きの本――右利き社会への挑戦状』講談社、1980年12月、p187。
- ^ 毎日新聞縮刷版p239 昭和51年4月9日朝刊15面
- ^ 日刊スポーツ1976年3月15日「内田逃げ切り初優勝」
- ^ “【日本男子の海外挑戦記・昭和編㉜】1974年以降、アジア・サーキットは日本選手の修行の場に”. www.jgto.org. 2025年3月10日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p456 昭和53年7月14日朝刊16面「波多野がリード 関東オープンゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p501 昭和53年7月15日朝刊17面「波多野が5打差 関東オープンゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p462 昭和54年4月13日朝刊18面
- ^ 毎日新聞縮刷版p261 昭和59年8月9日朝刊19面
- ^ “江原 利次選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site of JAPAN GOLF TOUR”. www.jgto.org. 2025年3月10日閲覧。
外部リンク
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