日吉稔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/13 17:01 UTC 版)
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基本情報 | ||||
名前 | 日吉 稔 | |||
生年月日 | 1944年6月7日(80歳) | |||
国籍 | ![]() |
日吉 稔(ひよし みのる、1944年6月7日 - )は、日本のプロゴルファー。
来歴
1978年の東北クラシックでは初日に最大瞬間風速18.2mの強風に苦しみながら、草壁政治・岩下吉久・安田春雄・松井利樹と並んでの5位タイでスタートした[1]。
1978年の関東オープンでは初日に上原宏一・浅井教司・山本謙太郎・謝敏男( 中華民国)・川田時志春・関水利晃・草壁・海老原清治・江原利次・森憲二・高井吉春・鳥沢利一・石井冨士夫と並んでの10位タイ[2]でスタートし、2日目には69をマークして2位タイ[3]に浮上。3日目には日吉定雄・浅井・謝永郁(中華民国)と並んでの3位タイ[4]とし、最終日には9番でイーグルを取り、14番で3アンダーとなって単独首位に立ったが、18番で1m足らずのバーディーパットを逃して謝敏・金井清一に並ばれる[5]。サドンデス・プレーオフでは第一打を大きく左に引っ掛け[5]、いきなりOBを出してダブルボギーで姿を消し、謝敏と並んで金井の2位タイ[6] [7]に終わる。
1978年の産報クラシックでは初日に5アンダー67をマークし、上原・陳健忠(中華民国)と並んでの5位タイでスタートした[8]。
1979年の日本国土計画サマーズでは3日目に7アンダー290で三上法夫と共に首位タイ[9]に浮上し、最終日には74と崩れ、森・吉川一雄の追い上げを許し4位に終わった[10]。
1979年のブリヂストントーナメントでは初日青木功・中嶋常幸・鈴木規夫・天野勝・内田繁・井上久雄・村上渉と並んでの9位タイ[11]でスタートし、1986年のNST新潟オープン[12]を最後にレギュラーツアーから引退。
脚注
- ^ 毎日新聞縮刷版p50 昭和53年6月2日朝刊18面「前田 強風の中、飛び出す 東北クラシックゴルフ第一日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p456 昭和53年7月14日朝刊16面「波多野がリード 関東オープンゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p501 昭和53年7月15日朝刊17面「波多野が5打差 関東オープンゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p538 昭和53年7月16日朝刊18面「謝敏、波多野と並ぶ 関東オープンゴルフ」
- ^ a b 朝日新聞縮刷版p570 昭和53年7月17日朝刊18面 スコアカード「好調の波多野 圧力に崩れる」
- ^ 朝日新聞縮刷版p570 昭和53年7月17日朝刊18面「金井が初優勝 プレーオフ謝敏ら破る 関東オープンゴルフ」
- ^ “日吉 稔選手 ツアー通算データ - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年2月18日閲覧。
- ^ 毎日新聞縮刷版p464 昭和53年9月15日朝刊18面「内田袈がリード 産報クラシックゴルフ第1日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p164 昭和54年8月5日朝刊18面「三上と日吉並ぶ サマーズゴルフ第三日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p185 昭和54年8月6日夕刊7面「三上が初優勝 サマーズゴルフ」
- ^ 毎日新聞縮刷版p831 昭和54年10月26日朝刊19面
- ^ “日吉 稔選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年2月18日閲覧。
外部リンク
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