野口英雄とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 野口英雄の意味・解説 

野口英雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/09 22:14 UTC 版)

野口 英雄
Hideo NOGUCHI
基本情報
名前 野口 英雄
没年月日 (1944-07-14) 1944年7月14日(80歳)
身長 172 cm (5 ft 8 in)
体重 68 kg (150 lb)
国籍 日本
出身地 千葉県
経歴
テンプレートを表示

野口 英雄(のぐち ひでお、1944年7月14日 - )は、千葉県出身のプロゴルファー

来歴

1971年の第1回美津濃トーナメント前田新作草壁政治と並んでの3位タイ[1]1974年の第4回では内田繁榎本七郎に次ぐと同時に鈴木規夫・草壁・松井功を抑え、金本章生と並んでの3位タイ[2]に入る。

1974年の中日クラウンズでは村上隆尾崎将司青木功島田幸作グラハム・マーシュ オーストラリア)に次ぎ、宮本康弘金井清一新井規矩雄山本善隆呂良煥 中華民国)と並んでの6位タイ[3]に入った。

1975年ペプシウィルソントーナメントでは初日を豊田明夫・草壁、ブライアン・ジョーンズ(オーストラリア)、関水利晃・内田・吉川一雄沼澤聖一・村上・尾崎将・呂良・中村寅吉と並んでの4位タイ[4]でスタートし、2日目には中村・尾崎将・ジョーンズと並んでの2位タイ[5]、3日目には鈴木と並んでの4アンダーで2位タイ[6]に続いた。

1975年の中部オープンでは初日を加藤辰芳寺嶋拓夫と共に鈴村照男から2打差2位タイ[7]でスタートし、2日目には68をマークして首位に立ち[8]、最終日には69をマークした大場勲に並ばれたが、プレーオフで下してツアー初優勝[9] [10]を果たす。

1975年の美津濃トーナメントでは内田・草壁に次ぐと同時に林慎一と並んでの4位タイ[11]に入った。

1976年アジアサーキットシンガポールオープンでは内田袈裟彦ベン・アルダ フィリピン)、マーシュに次ぐ6位[12] [13]に入った。

帰国後のフジサンケイクラシックでは初日を秋富由利夫と共に69をマークして6位タイ[14]でスタートし、2日目も69で回り首位日吉定雄に1打差の2位[15]に浮上するが、3日目には岩下吉久と並んでの4位タイ[16]に後退し、最終日には村上と並んでの6位タイ[17]に終わった。

日本プロマッチプレーでは予選最終ラウンドまで進み、通算3アンダーで並んだ内田とプレーオフになったが、内田に敗れている[18]

1976年の産報チャンピオンズでは杉原輝雄・前田と並んでの10位タイ[19]1978年の美津濃トーナメントでは草壁と並んでの3位タイ[20]、同年の中部オープンでは井上幸一鈴村久石井秀夫・内田・石井裕士に次ぐと同時に大場・豊田を抑えての9位[21]に入り、1985年の中部オープン[22]を最後にレギュラーツアーから引退。

主な優勝

  • 1975年 - 中部オープン

脚注

  1. ^ 第1回 1971年(昭和46年)|ゴルフ|ミズノ公式オンライン”. mizuno.com. 2023年12月12日閲覧。
  2. ^ 第4回 1974年(昭和49年)|ゴルフ|ミズノ公式オンライン”. mizuno.com. 2023年11月14日閲覧。
  3. ^ 中日クラウンズ”. hicbc.com. 2024年2月2日閲覧。
  4. ^ 朝日新聞縮刷版p686 昭和50年5月23日朝刊16面「日吉トップ ペプシ・ウイルソン・ゴルフ第一日
  5. ^ 朝日新聞縮刷版p723 昭和50年5月24日朝刊17面「橘田、一気にトップ ペプシ・ウイルソン・ゴルフ(第二日)
  6. ^ 朝日新聞縮刷版p752 昭和50年5月25日朝刊14面「橘田弟、首位を保つ ペプシ・ウイルソン・ゴルフ(第三日)
  7. ^ 朝日新聞縮刷版p527 昭和50年7月17日朝刊17面
  8. ^ 朝日新聞縮刷版p560 昭和50年7月18日朝刊16面
  9. ^ 朝日新聞縮刷版p627 昭和50年7月20日朝刊15面
  10. ^ 野口 英雄選手 ツアー通算データ - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2023年11月14日閲覧。
  11. ^ 第5回 1975年(昭和50年)|ゴルフ|ミズノ公式オンライン”. mizuno.com. 2025年5月10日閲覧。
  12. ^ 【日本男子の海外挑戦記・昭和編㉜】1974年以降、アジア・サーキットは日本選手の修行の場に”. m.facebook.com. 2023年11月14日閲覧。
  13. ^ 日刊スポーツ1976年3月15日内田逃げ切り初優勝
  14. ^ 朝日新聞縮刷版p386 昭和51年5月14日朝刊16面「日吉が首位 ミヤアエ2位 フジサンケイ・ゴルフ
  15. ^ 朝日新聞縮刷版p423 昭和51年5月15日朝刊17面「日吉が首位守る フジサンケイ・ゴルフ
  16. ^ 朝日新聞縮刷版p454 昭和51年5月16日朝刊16面「トップに青木功ら三人 フジサンケイ・ゴルフ
  17. ^ 朝日新聞縮刷版p485 昭和51年5月17日朝刊19面「鈴木規、呂をかわす プレーオフ フジサンケイ・ゴルフ
  18. ^ 第2回日本プロゴルフマッチプレー選手権(1976年)”. www.golfdendou.jp. 2023年11月14日閲覧。
  19. ^ 朝日新聞縮刷版p630 昭和51年8月23日朝刊18面「プレーオフ、男子は呂 産報ゴルフ 女子、樋口が逆転優勝
  20. ^ 第8回 1978年(昭和53年)|ゴルフ|ミズノ公式オンライン”. mizuno.com. 2023年11月19日閲覧。
  21. ^ 朝日新聞縮刷版p538 昭和53年7月16日朝刊18面「井上が初栄冠 中部オープン
  22. ^ 野口 英雄選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2023年11月14日閲覧。

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  野口英雄のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「野口英雄」の関連用語

野口英雄のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



野口英雄のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの野口英雄 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS