金海繁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/09 22:23 UTC 版)
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基本情報 | ||||
生誕 | 1948年12月12日 | |||
死没 | 2008年 | |||
国籍 | ![]() |
金海 繁(かなうみ しげる、1948年12月12日 - 2008年)は日本のプロゴルファー。
来歴
1973年の中四国オープンでは増田光彦・十亀賢二に次ぐと同時に細石憲二・岡部洋三・上野忠美を抑えて4位に入った[1]。
1976年のゴルフダイジェストトーナメントでは初日に68をマークして中嶋常幸・上原忍・松井利樹・田中文雄・石井裕士・鈴木規夫・内田繁と並んでの2位タイ[2]でスタートし、2日目は金本章生と並んでの6位タイ[3]、3日目は3アンダーで中嶋・中村稔と並び[4]、最終日には杉原輝雄・小林富士夫・宮本康弘・増田と並んでの8位タイ[5]に入った。後藤修は「週刊ゴルフダイジェスト」同年11月10日号の観戦記で「体格は尾崎以上」と評している[4]。
1977年の日本プロでは初日、2日目と共に69をマークし、浦西武光・竹安孝博と並んでの10位タイ[6]に入った。
1978年のジーン・サラゼン ジュンクラシックでは初日に4アンダー68で浅井教司・新井規矩雄・山本善隆・常陸文男・入江勉・井上幸一・佐藤正一と並んでの2位タイ[7]でスタートし、2日目には尾崎健夫・関水利晃・増田と並んでの6位タイ[8]に着けた。
1980年のKBCオーガスタでは初日を上原宏一・鷹巣南雄・井上・横島由一・山本善と共に69をマークして6位タイ[9]でスタートした。
1980年の関東オープンでは2日目には泉川ピート・長谷川勝治と並んでの9位タイ[10]、3日目には泉川と共に金井清一・小林と並んでの8位タイ[11]に着け、最終日にはインで大きく乱れた川田時志春と並んでの7位タイに入った[12] [13]。
1981年の静岡オープンでは鷹巣と並んでの10位タイ[14]、1983年の関東オープンでは最終日に68をマークして10位[15]に入った。
1981年の日本オープンでは初日を雨と難コースでスコアが伸び悩む中、陳志明&謝永郁&何明忠(中華民国)・山本善・藤木三郎・松本紀彦・寺本一郎、ボビー・クランペット(アメリカ)、河野高明・重信秀人と並んでの10位タイでスタートした[16]。
1984年のブリヂストントーナメントでは初日を中嶋・尾崎健・鈴木弘一・倉本昌弘・岩下吉久・長谷川と共に5アンダー67をマークして3位タイ[17]でスタートし、2日目には長谷川と共にティム・シンプソン(アメリカ)、青木功・上原宏一と並んでの2位タイ[18]、3日目には青木と共に4位タイ[19]に着けた。
1984年の和歌山オープンでは初日を宮本・井上久雄に次ぐと同時に友利勝良・伊藤正己と並んでの5位タイ[20]でスタートし、最終日には入野太・宮本・伊藤に次ぐと同時に吉川一雄・大町昭義・前田新作と並んでの6位タイ[21]に入った。
1989年のペプシ宇部興産トーナメント[22]を最後にレギュラーツアーから引退。
脚注
- ^ 朝日新聞縮刷版p855 昭和48年8月25日朝刊19面
- ^ 朝日新聞縮刷版p711 昭和51年10月22日朝刊17面「新井が首位に立つ ゴルフダイジェスト」
- ^ 朝日新聞縮刷版p745 昭和51年10月23日朝刊17面「内田が首位に ダイジェスト・ゴルフ」
- ^ a b “【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】東名カントリークラブ。中嶋常幸、4日間ツアー競技初優勝。1976年ゴルフダイジェストトーナメント”. golfdigest-play.jp. 2024年2月3日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p812 昭和51年10月25日朝刊18面「新人中島が逆転優勝 ダイジェスト・ゴルフ」
- ^ “第45回日本プロゴルフ選手権(1977年)”. www.golfdendou.jp. 2024年2月3日閲覧。
- ^ 毎日新聞縮刷版p624 昭和53年7月21日朝刊14面
- ^ 毎日新聞縮刷版p659 昭和53年7月22日朝刊19面「青木、好位に 井上首位 中島は予選落ち ジュンクラシックゴルフ第二日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p976 昭和55年8月29日朝刊16面「中村通がリード 18人、雨で途中打切り オーガスタ・ゴルフ第一日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p1021 昭和55年9月27日朝刊17面「青木、川田と並ぶ 関東 中四国 アマ倉本首位走る オープンゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p1061 昭和55年9月28日朝刊17面「青木が単独首位に 関東 関西 山本、6打差リード オープンゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p1095 昭和55年9月29日朝刊19面「五年ぶりに青木 関東 中四国 快挙、アマの倉本優勝 オープンゴルフ」
- ^ “【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】岡部チサンCC美里コース。全米オープン並みの難コースを制して、青木功が今季V4。1980年関東オープン”. golfdigest-play.jp. 2024年2月3日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p894 昭和56年3月23日夕刊12面「青木、開幕戦飾る プレーオフで矢部下す 静岡オープン」
- ^ 朝日新聞縮刷版p182 昭和58年9月5日朝刊18面「藤木、逆転で初V 関東オープンゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p1199 昭和56年10月30日朝刊17面「青木3アンダー、好スタート 単独トップ 倉本・湯原は出遅れ 日本オープンゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p731 昭和59年10月19日朝刊17面「シンプソン初日首位 川俣1差 ブリヂストン・ゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p775 昭和59年10月20日朝刊17面「尾崎健、首位に立つ 青木功ら5人が1打差 ブリヂストン・ゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p815 昭和59年10月21日朝刊17面「倉本、トーランス並ぶ ともに急浮上して8アンダー ブリヂストン・ゴルフ」
- ^ 毎日新聞縮刷版p97 昭和59年11月3日朝刊19面
- ^ 毎日新聞縮刷版p120 昭和59年11月4日朝刊18面
- ^ “金海 繁選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年2月3日閲覧。
外部リンク
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