常陸文男
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/13 01:33 UTC 版)
|
||||
---|---|---|---|---|
基本情報 | ||||
名前 | 常陸 文男 | |||
生年月日 | 1948年4月7日(77歳) | |||
国籍 | ![]() |
常陸 文男(ひたち ふみお、1948年4月7日 - )は、日本のプロゴルファー。
来歴
1977年の関東プロでは初日に上原忍・新井規矩雄・草柳良夫・菊地勝司・陳健忠(中華民国)と並んでの10位タイ[1]、1978年のジーン・サラゼン ジュンクラシックでは初日に浅井教司・新井規矩雄・山本善隆・入江勉・井上幸一・佐藤正一・金海繁と共に4アンダー68の2位タイ[2]でスタートした。
1978年の関東オープンでは初日、ラフが深いゆえにグリーンの難しさもあってアンダーパーは9人であった中、野口茂・高橋五月・鷹巣南雄・謝永郁(中華民国)と並んでの4位タイでスタートした[3]。
1978年の千葉県オープンでは初日を上原忠明・渡辺由己に次ぐと同時に小川清二と並んでの4位タイ[4]でスタートし、最終日も上原・渡辺・井岡誠・山高孝信に次ぐと同時に工藤吉彦と並んでの5位タイ[5]に入った。
1979年の関東プロでは長谷川勝治・尾崎将司・山田健一と並んでの4位タイ[6]に入った。
1979年の日本プロでは初日を山本善・鈴村照男・東章・森本俊治・中村通・石井裕士・鷹巣・渡辺三男・杉原輝雄と共に3アンダー69の10位タイ[7]でスタートし、2日目も東・山本善と共に69で中嶋常幸と並んでの3位タイ[8]、3日目には中村・川村正己・草壁政治と並んでの5位タイ[9]に着けた。
1979年の広島オープンでは高井吉春・中嶋・金井と並んでの10位タイ[10]に入り、1980年の全日空札幌オープンでは初日を尾崎将・安田春雄・山田と並んでの3位タイでスタートした[11]。
1981年のダンロップ国際オープンでは初日にマスターズから帰国初戦の青木功と共に3アンダー69をマークし、草壁・井上幸一・泉川ピート・郭吉雄&呂良煥(中華民国)・中村・森憲二と並んでの7位タイでスタートした[12]。
脚注
- ^ 朝日新聞縮刷版p138 昭和52年8月5日朝刊16面「竹安9アンダー、首位 関東プロゴルフ」
- ^ 毎日新聞縮刷版p624 昭和53年7月21日朝刊14面
- ^ 朝日新聞縮刷版p456 昭和53年7月14日朝刊16面「波多野がリード 関東オープンゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p335 昭和53年8月11日朝刊15面
- ^ 朝日新聞縮刷版p364 昭和53年8月12日朝刊14面
- ^ “【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】東筑波カントリークラブ。青木功は変わった。「忍耐」そして「挑戦」へ。1979年関東プロ - ゴルフへ行こうWEB by ゴルフダイジェスト”. golfdigest-play.jp. 2025年4月10日閲覧。
- ^ 毎日新聞縮刷版p438 昭和54年9月14日朝刊18面「寺本がコース新66 大混戦のスタート 52人がアンダーパー 日本プロゴルフ選手権第1日」
- ^ 毎日新聞縮刷版p473 昭和54年9月15日朝刊19面「謝敏抜け出し、杉原1差 日本プロゴルフ選手権第2日」
- ^ 毎日新聞縮刷版p496 昭和54年9月16日朝刊18面「謝敏一気に独走態勢 荒稼ぎ66、杉原に5差 日本プロゴルフ選手権第3日」
- ^ 毎日新聞縮刷版p19 昭和54年10月1日朝刊19面「山本善が今季初勝利 広島オープンゴルフ最終日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p448 昭和55年9月12日朝刊16面「新井、6アンダー首位 青木18位 アマの倉本健闘10位 全日空札幌ゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p901 昭和56年4月24日朝刊17面「陳志明7アンダー 2差3人 ダンロップ・ゴルフ」
外部リンク
- 常陸文男のページへのリンク