井岡誠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/06 07:24 UTC 版)
Makoto IOKA | |
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基本情報 | |
名前 | 井岡 誠 |
生年月日 | 1944年1月24日(81歳) |
国籍 |
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経歴 |
井岡 誠(いおか まこと、1944年1月24日 - )は、日本のプロゴルファー。
来歴
日本オープンでは1966年に安田春雄・杉本英世・杉原輝雄[1]、1972年には安田・青木功・河野光隆と並んで[2]共に5位タイ[3]に入った。
1968年の日本プロでは初日を上田鉄弘と共に首位の小川貞雄と1打差2位タイに着ける好スタートを切り、最終的には橘田規・石井朝夫・細石憲二・村上隆と並んでの5位タイ[4]に入った。
1974年の全日空札幌オープンでは3日目に尾崎将司・吉川一雄・山田健一と並んでの4位タイ[5]に着け、最終日には山田と共に中村通と並んでの3位タイ[6]に入った。
1978年のフジサンケイクラシックでは初日を宮本康弘・新井規矩雄・島田幸作・安田と並んでの2位タイ[7]でスタートし、2日目には内田繁と並んでの7位タイ[8]、3日目には青木・中嶋常幸・岩下吉久と並んでの4位タイ[9]に着けた。
1978年の全日空札幌オープンでは2日目にコース特有の10m以上の強風でスコアを乱す選手が続出した中、69をマークし、森憲二・井上幸一・上野忠美と並んでの10位タイに着けた[10]。
1978年の千葉県オープンでは上原忠明・渡辺由己に次ぐと同時に工藤吉彦・常陸文男を抑え、山高孝信と並んでの3位タイに入った[11]。
1978年の表蔵王国際東北オープンでは2日目には池田富茂・川田時志春・木本挙国・青木基正・新井・高橋信雄・田中文雄と並んでの4位タイ[12]に着け、最終日には松田司郎の2位[13]に入った。
1990年のインペリアルトーナメント[14]を最後にレギュラーツアーから引退。
脚注
- ^ “第31回日本オープンゴルフ選手権(1966年)”. www.golfdendou.jp. 2024年6月22日閲覧。
- ^ “第37回日本オープンゴルフ選手権(1972年)”. www.golfdendou.jp. 2024年6月22日閲覧。
- ^ “歴代優勝者”. www.jga.or.jp. 2024年6月22日閲覧。
- ^ “第36回日本プロゴルフ選手権(1968年)”. www.golfdendou.jp. 2024年6月22日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p218 昭和49年7月7日朝刊14面「青木功トップ 札幌オープン・ゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p236 昭和49年7月8日朝刊8面「“燃えた”尾崎 8打差つめるバーディ攻勢 プレーオフ2度、青木を破る 札幌オープンゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p355 昭和53年5月12日朝刊17面「初日、杉原リード 2打差で島田ら5人追う フジサンケイクラシック」
- ^ 朝日新聞縮刷版p391 昭和53年5月13日朝刊17面「宮本と謝永も首位 4アンダー、杉原と並ぶ フジサンケイクラシック・ゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p429 昭和53年5月14日朝刊19面「宮本、1打差で首位 フジサンケイクラシック・ゴルフ」
- ^ 毎日新聞縮刷版p19 昭和53年7月1日朝刊19面
- ^ 朝日新聞縮刷版p364 昭和53年8月12日朝刊14面
- ^ 毎日新聞縮刷版p53 昭和53年9月2日朝刊19面
- ^ 毎日新聞縮刷版p84 昭和53年9月3日朝刊18面
- ^ “井岡 誠選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年6月22日閲覧。
外部リンク
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