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森本俊治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/10 22:21 UTC 版)

森本 俊治
Toshiharu MORIMOTO
基本情報
名前 森本 俊治
生年月日 (1945-01-14) 1945年1月14日(80歳)
身長 163 cm (5 ft 4 in)
体重 58 kg (128 lb)
国籍 日本
出身地 福岡県北九州市
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森本 俊治(もりもと としはる、1945年1月14日 - )は、福岡県北九州市出身[1]プロゴルファー

息子の森本真祐はエースキャディ[1]

来歴

福岡県立小倉商業高等学校出身[2]

21歳でゴルフを始め、1973年にプロ入りする[2]

1974年中部オープンでは初日に69をマークして首位[3]でスタートし、最終日には優勝した橘田規から7打差2位[4]に入った。

1979年関西プロでは55人がアンダーパーを記録する出足となった初日に4アンダー68をマークし、上野忠美小栗正光松田司郎入江勉山本善隆秋富由利夫松本紀彦と並ぶ5位タイグループでスタートする[5]

1979年の日本プロでは初日を3アンダー69で常陸文男・山本善・鈴村照男東章中村通石井裕士鷹巣南雄渡辺三男杉原輝雄と並んでの10位タイでスタートした[6]

1983年ゴルフダイジェストトーナメントでは初日を河野高明鈴木弘一青木功金子柱憲吉武恵治・鈴村照・金井清一と共に69の9位タイ[7] [8]でスタートし、2日目も69で尾崎健夫中嶋常幸上原宏一と並んでの6位タイ[9]、3日目も69で3日間首位の高橋五月に並んだが[10]、最終日には尾崎健・尾崎直道・上原・宮本康弘・中村・呂西鈞中華民国)と並んでの8位タイ[11] [12]に入った。

大京オープンでは初日を69で井上幸一・秋富・中松幹雄草壁政治中山徹と並んでの5位タイ[13]でスタートし、2日目も69で横島由一の2位[14]に浮上したが、3日目には稲垣太成・井上と並んでの9位タイ[15]に後退し、最終日には森憲二と並んでの10位タイ[16]に入った。同年には関西プロ4位タイ、デサント大阪オープン2位タイなど、賞金ランク68位に入っている[17]

1984年兵庫県オープンでは初日を前田新作甲斐俊光に次ぐと同時に吉野展弘吉川一雄井上智夫と並んでの3位タイ[18]でスタートし、デサント大阪オープンでは中村と並んでの2位タイ[19]に入り、1991年関西オープン[20]を最後にレギュラーツアーから引退。

2000年にシニア入り[17]すると、2001年には第1回ファンケルクラシックでは高橋勝成佐野修一に次ぐと同時に曽根保夫藤間達雄と並んでの5位タイ[21]に入った。

2002年にはキャッスルヒルオープンで鷹巣らと優勝を争い惜しくも[17]井上久雄小林富士夫と並んでの5位タイ[22]アデランスウェルネスオープンでは初日22位タイから追い上げシニア入り後最高となる[17]田中文雄と並んでの4位タイ[23]日本シニアオープン7位[24]など8試合に出場してベスト10入り5回を記録[17]

賞金ランキングは32位→25位→11位と年を追うごとに順位を上げて、念願の初シード入りを果たした[17]2003年のキャッスルヒルオープンでは初日に66をマークし、陳志明中華民国)の2位[25]に入った。

2013年には関西プロゴールドシニアで優勝し[2]、日本プロゴールドシニアでは古市忠夫陳清波(中華民国)と共にエージシュートを達成[26]

2014年の関西プロゴールドシニアでは初日首位で大会連覇を狙うも最終日に76とスコアを崩し、トータルイーブンパーでホールアウト[27]。この日のベストスコアをマークした古市忠夫、安定したプレーで両日パープレーの渡辺修と共に10番ホールでのプレーオフとなったが、渡辺がバーディとし、古市と並んでの2位タイ[27]に終わった。

主な優勝

  • 2013年 - 関西プロゴールドシニア

脚注

  1. ^ a b みっすー、お父さん、キャディ仲間と”. gc.supotomo.com. 2024年6月24日閲覧。
  2. ^ a b c 森本俊治 モリモト トシハル TOSHIHARU MORIMOTO”. www.smile-pga.jp. 2024年6月24日閲覧。
  3. ^ 朝日新聞縮刷版p335 昭和49年7月11日朝刊15面
  4. ^ 朝日新聞縮刷版p411 昭和49年7月13日朝刊15面「橘田が優勝 中部オープン
  5. ^ 朝日新聞縮刷版p1083 昭和54年6月29日朝刊17面「石井裕と内田7アンダーで並ぶ 関西プロゴルフ
  6. ^ 毎日新聞縮刷版p438 昭和54年9月14日朝刊18面「寺本がコース新66 大混戦のスタート 52人がアンダーパー 日本プロゴルフ選手権第1日
  7. ^ 朝日新聞縮刷版p522 昭和58年10月14日朝刊16面
  8. ^ 毎日新聞縮刷版p437 昭和58年10月14日朝刊19面
  9. ^ 毎日新聞縮刷版p473 昭和58年10月15日朝刊19面
  10. ^ 毎日新聞縮刷版p509 昭和58年10月16日朝刊23面「混戦、4打差に21人
  11. ^ 朝日新聞縮刷版p642 昭和58年10月17日朝刊18面「金井が逆転V ダイジェストゴルフ
  12. ^ 毎日新聞縮刷版p540 昭和58年10月17日朝刊22面「金井が逆転優勝
  13. ^ 朝日新聞縮刷版p329 昭和58年12月9日朝刊17面
  14. ^ 朝日新聞縮刷版p369 昭和58年12月10日朝刊17面
  15. ^ 朝日新聞縮刷版p404 昭和58年12月11日朝刊16面
  16. ^ 朝日新聞縮刷版p438 昭和61年12月12日朝刊18面
  17. ^ a b c d e f 2003年シニア選手紹介”. 2003年10月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年10月16日閲覧。
  18. ^ 朝日新聞縮刷版p268 昭和59年7月7日朝刊16面
  19. ^ 朝日新聞縮刷版p879 昭和59年7月23日朝刊19面
  20. ^ 森本 俊治選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年6月24日閲覧。
  21. ^ ファンケルシニアクラシック”. 2003年2月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月24日閲覧。
  22. ^ 各日最終成績 キャッスルヒルオープン”. pga.or.jp. 2024年6月24日閲覧。
  23. ^ 各日最終成績 アデランスウエルネスオープン”. pga.or.jp. 2024年6月24日閲覧。
  24. ^ 各日最終成績 日本シニアオープンゴルフ選手権競技”. pga.or.jp. 2024年6月24日閲覧。
  25. ^ 各日最終成績 キャッスルヒルオープン”. pga.or.jp. 2024年6月24日閲覧。
  26. ^ 古市忠夫プロ、初見充宣プロが優勝 ~日本プロゴルフグランド・ゴールドシニア選手権大会 ゴルフパートナーカップ~”. www.golfpartner.co.jp. 2024年6月24日閲覧。
  27. ^ a b 【関西GG/FR】プレーオフを制した優勝!ゴールドは渡辺修、グランドは寺田寿”. 2014年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月24日閲覧。

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