小栗正光
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/29 14:14 UTC 版)
Masamitsu OGURI | |
---|---|
基本情報 | |
名前 | 小栗 正光 |
生年月日 | 1948年6月17日(76歳) |
身長 | 168 cm (5 ft 6 in) |
体重 | 82 kg (181 lb) |
国籍 | ![]() |
出身地 | 岐阜県 |
経歴 |
小栗 正光(おぐり まさみつ、1948年6月17日 - )は岐阜県出身のプロゴルファー。
来歴
可児市立中部中学校卒業後の16歳からゴルフを始め、1972年にプロ入りする[1]。
1978年の中日クラウンズでは2日目にこの日ベストスコアとなる65をマークし、内田繁と並んで2位島田幸作から1打差の3位タイに着け、最終的には村上隆・小林富士夫・今井昌雪と並んでの9位タイ[2]に入った。
1979年の関西プロでは55人がアンダーパーを記録する出足となった初日、4アンダー68をマークし、上野忠美・松田司郎・入江勉・山本善隆・森本俊治・秋富由利夫・松本紀彦と並んでの5位タイグループでスタートした[3]。
1981年のペプシウィルソントーナメントでは2日目に66をマークして[4]尾崎直道・呂良煥(中華民国)・中村通・高橋勝成[5]、3日目には新井規矩雄・羽川豊[4]と並んで共に7位タイ[5] [4]に着けた。
1983年の中部オープンでは初日に当時高校生の川岸良兼と共に68の首位タイ[6]でスタートし、2日目に豊田明夫・石井裕士と並んでの2位タイ[7]、3日目には中村忠夫・川岸と並んでの3位タイ[8]に着けた。
1985年には岐阜県オープンで優勝[9]したほか、関西プロ6月決勝大会では開催された松永カントリークラブのコースレコード63を樹立し、1974年の中四国オープンで十亀賢二が記録した64を8年ぶりに塗り替えた[10]。
1990年の中部オープンでは10位タイ[11]に入ったが、1991年の同大会[12]を最後にレギュラーツアーから引退。
主な優勝
- 1985年 - 岐阜県オープン
脚注
- ^ “小栗 正光 オグリ マサミツ MASAMITSU OGURI”. www.smile-pga.jp. 2024年2月4日閲覧。
- ^ “中日クラウンズ”. hicbc.com. 2024年2月4日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p1083 昭和54年6月29日朝刊17面「石井裕と内田7アンダーで並ぶ 関西プロゴルフ」
- ^ a b c 朝日新聞縮刷版p750 昭和56年6月21日朝刊16面「中村通が首位 藤木は四位に ペプシウィルソン」
- ^ a b 朝日新聞縮刷版p715 昭和56年6月20日朝刊17面「好調な藤木 首位を守る ペプシウィルソン・ゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p61 昭和58年9月2日朝刊17面
- ^ 朝日新聞縮刷版p115 昭和58年9月3日朝刊19面
- ^ 朝日新聞縮刷版p148 昭和58年9月4日朝刊16面
- ^ “第40回記念 岐阜オープンクラシック2023 観戦ガイド”. www.gifu-np.co.jp. 2024年2月4日閲覧。
- ^ “歴史History”. www.matsunagacc.jp. 2024年2月4日閲覧。
- ^ “フルリーダーボード 中部オープン 1990 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年2月4日閲覧。
- ^ “小栗 正光選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年2月4日閲覧。
外部リンク
- 小栗正光のページへのリンク