浦西武光
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/16 13:19 UTC 版)
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基本情報 | ||||
名前 | 浦西 武光 | |||
生年月日 | 1940年10月10日(84歳) | |||
国籍 | ![]() |
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出身地 | 鹿児島県 |
浦西 武光(うらにし たけみつ、1940年10月10日 - )は鹿児島県出身のプロゴルファー。
来歴
1966年にプロ入りし[1]、1972年の美津濃トーナメントでは吉川一雄・久保四郎・戸田雅吉に次ぐと同時に石井富男・大島富五郎・海老原清治と並んでの4位タイ[2]、1976年の同大会では内田繁と並んで草壁政治の2位タイ[3]に入った。
1977年の日本プロでは金海繁・竹安孝博と並んでの10位タイ[4]に入り、1979年の和歌山オープンで初優勝[5]。
1980年の関西オープンでは2日目に井上久雄・中村通と並んでの5位タイ[6]に着け、3日目には島田幸作・前田新作・宮本省三と並んでの3位タイ[7]に上がる。最終日には66のコースレコードを出し、82を叩いて5位に後退した前日首位の山本善隆を逆転[8]。通算4アンダーで中村・島田を抑えて[9]ツアー初優勝を挙げ、鹿児島出身では最初のツアー優勝者[10]となる。
1981年のKBCオーガスタでは初日を石井秀夫・鈴木規夫・謝敏男(中華民国)、デビッド・イシイ(アメリカ)、川村正己・小林恵一・高井吉春・重信秀人と共に69の5位タイ[11]でスタートし、最終日には68をマークして矢部昭・前田・牧野裕・イシイと並んでの8位タイ[12]に入った。
1987年の関西オープンを最後にレギュラーツアーから引退[13]。
主な優勝
- 1979年 - 和歌山オープン
- 1980年 - 関西オープン
脚注
- ^ “浦西 武光 ウラニシ タケミツ TAKEMITSU URANISHI”. www.smile-pga.jp. 2024年2月1日閲覧。
- ^ “第2回 1972年(昭和47年)|ゴルフ|ミズノ公式オンライン”. mizuno.com. 2024年2月1日閲覧。
- ^ “第6回 1976年(昭和51年)|ゴルフ|ミズノ公式オンライン”. mizuno.com. 2024年2月1日閲覧。
- ^ “第45回日本プロゴルフ選手権(1977年)”. www.golfdendou.jp. 2024年2月1日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p292 昭和54年7月8日朝刊18面
- ^ 朝日新聞縮刷版p1021 昭和55年9月27日朝刊17面「青木、川田と並ぶ 関東 中四国 アマ倉本首位走る オープンゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p1061 昭和55年9月28日朝刊17面「青木が単独首位に 関東 関西 山本、6打差リード オープンゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p1095 昭和55年9月29日朝刊19面「五年ぶりに青木 関東 中四国 快挙、アマの倉本優勝 オープンゴルフ」
- ^ McCormack, Mark (1981). Dunhill World of Professional Golf 1981. Springwood Books. pp. 244–245, 400–401. ISBN 0862541018
- ^ “稲森佑貴、メジャーで初V “日本一曲がらない男”が善戦と安定の殻破る”. golf.hochi.co.jp. 2024年2月1日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p943 昭和56年8月28日朝刊17面「湯原、6アンダーで首位 オーガスタ・ゴルフ第一日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p1058 昭和56年8月31日朝刊18面「三人によるプレーオフ 謝敏チップインV オーガスタ・ゴルフ最終日」
- ^ “浦西 武光選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年2月1日閲覧。
外部リンク
- 浦西武光のページへのリンク