楠村による工場誘致
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/28 01:32 UTC 版)
「東洋紡績楠工場」の記事における「楠村による工場誘致」の解説
楠村は工場誘致に成功したが、受け入れ施設や体制が無かった。岡田武兵衛村長・亀田村議・川村区長の3人が発起人となって土地会社を設立した。進出企業や四日市方面の資本家、楠村内の有志に株式を募集1750株1株20円合計35000円の払い込みを得て楠土地建物株式会社として設立した。主要事業として行ったのは以下である。 ①土地建物の売買斡旋事業。 ②土地建物の分譲事業。 ③借家の建設事業。 ④料理旅館の委託経営事業。 ⑤吉崎海水浴場の開設事業(白砂青松の吉崎海岸を広大な面積にわたって買収、魚勘旅館を買収して大改造、別館も増築した。青波楼と名付けて会社で経営、釣堀なども築造。夏には北楠駅~吉崎海岸にバスを運行。バス料金と料理7品をセットとして合わせて3円のクーポン券を販売して利用客の増加に努めた)。 ⑥楠劇場の建設事業(津市から劇場を南五味塚に移築改築したものが楠劇場の開設で会社従業員のが楽施設として利用されたもの)の経営事業である。 東洋毛糸紡績は昭和7年に塩浜に羊毛毛糸工場の建設を決定した。それから1年後の昭和8年に河崎助太郎社長によって三重郡楠村への同種類の羊毛工場建設が決定された。四日市港の背後地に強力な開発を進める榎並赳夫常務と岡田武兵衛楠村長が誘致に関わった。榎並常務は河崎社長の三重県桑名市播磨村の松茸狩りに招かれてその席で「榎並君もう1つ毛織工場を新設したいが適当な場所はないか」「羊毛紡績工場を5万坪内外の敷地に造成して少なくとも毛糸4セットの設備にしたい。適当な場所があれば話をもってきてくれないか」夢のような話を岡田武兵衛楠村長に伝えて、四日市港と羊毛紡績工場との関係や今後の楠村の街作りについて話し合った。岡田武兵衛村長は楠村は山も谷もなくて鈴鹿川に囲まれた田地と畑があるに過ぎない村である。四日市港の発展が楠村発展のかぎである。楠村の北五味塚から本郷を経て河原田村に至る県道がある。この三重県道沿いに約5万坪の土地を選定して地主や村長と土地買収の交渉をした。関西急行電鉄(現在の近鉄)の引き込み線を東洋毛糸紡績の工場へ入れて、当時休止中の北楠駅を復活する事を村長と電鉄と交渉して楠村の1年間の予算と同じ2万4000円ほどかかった。銀行から楠村村会議員と各字の区長の保証で借用して用立てた。
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